立派な本堂と美しいお墓。
智海山宝栄寺の特徴
本堂の屋根が大きく、壮大な雰囲気を感じられます。
お墓まわりがいつもキレイで、感謝の気持ちが湧いてきます。
国道143号線沿いに立つ、便利なアクセスの場所です。
松田氏寄進碑は雪洲市隠(小里頼永)書。墓地には香取秀真筆の墓石あり。(旧松本市史 下巻)真宗 東本願寺派 智海山 宝栄寺本尊 阿弥陀如来 安原町由緒 水野隼人正忠清、寛永19年7月28日参州吉田より松本移封するに当り、宝栄寺これに随い吉田より安原堂町に移り寺院を建立せり。水野氏帰依厚かりしも、享保10年7月改易せらるるに至り唯一の檀越を失へり。戸田氏の時享保末年に現在地を与えられこれに移り、本堂、庫裏、山門、総門を建築せり。そもそも当寺は三浦義長の次男荒次郎義忠、仏門に入り名を明空と称し、承久2年常陸国下妻に一寺を草創せり。六代の孫義成三州苅谷において一寺を営み、正学寺と号し、義成の玄孫勝永、学徳兼備勅旨を以て権律師に補せらる。水野氏苅谷にありて深く帰依し、封を吉田に受くるや、又一寺を創立して宝栄寺と号す。忠清の女欸冬姫勝永に嫁す。法縁俗縁浅からざるなり。故に松本移封の時随伴して来れるなりという。明和7年10月19日火災に罹り堂宇焼失す。維新の際住僧義遵豪宕にして学識あり、廃仏の藩命に当り、同宗と提携してこれに抗し以て其大難を超越せり。檀徒470人本堂の建築は欅の巨材を用い、市中唯一の巨刹なり。享保11年戸田氏は付属地として畑8反5畝12歩を寄進せる文書あり。当寺に義弁といえる哲僧住す。寺宝中に親鸞上人の木像あり。正栄寺といえる塔頭ありたるも今は存せず。
立派なお寺でした!
正面からクルマで入る場合、石柱が両側に建っていて大きいサイズ乗用車なら幅ギリギリです。ご注意を!!庫裏の方へ入る道もありますので、あらかじめ聞いてから行かれることをお勧めします。
年に2回ほどしか来れませんが、何時もお墓まわりがキレイでお寺さんに感謝しています。
本堂が立派です。
本堂の屋根が大きい。目立ちます。
国道143号線の東側に有ります。大きなお寺です。
| 名前 |
智海山宝栄寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0263-32-4733 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
寛永十九年、水野氏とともに三河より移り、明和七年火災により焼失したが再建されたという歴史があるそうです。参道の左側に「両下町の旧道」の説明板があり、この北への小路が当時の名残だそうです。