本栖湖の城山、武田の遺構探訪!
本栖城跡の特徴
富士五湖の本栖湖沿いに位置する山城で、山登りが楽しめます。
武田氏による国境警備のために築かれた、難攻不落の縄張が魅力です。
樹海に隠れた石塁跡や堀切が、歴史を感じさせる不気味な雰囲気を醸し出します。
青木ケ原樹海にある城跡尾根上に郭が並んでおり間を竪堀等で守られており特に変わったところがないが、主郭には石積みが見られた。主郭の下にも郭のような平地が見られたが傾斜がきつくて行けそうになかった。主郭の先に石積みの烽火台が見られその先に3つの堀切があるが岩場を設置されたロープで登り降りるため結構危ない。
軽い登山を楽しめました。尾根伝いを歩くのが楽しいです。昔は木を切っていたのでしょうから主郭からの見晴らしは良かったのでしょうね。
富士五湖の一つ、本栖湖沿いに聳える城山の上に築かれた山城で、武田氏が甲斐と駿河の国境警備のために築城、急峻な山に大きな堀切を設け、難攻不落の縄張が構築されています。標高1053メートルの山上にあり、城巡りというよりは登山になるのでしっかりとした靴が必要。大きな壁として侵入を防ぐ狼煙台は見事です。
廃校となった中学校の前の道路(FJ95+49H 富士河口湖町、山梨県)に車を置いて、少し林の中を歩いて国道脇の尾根先端(FJC7+24M 富士河口湖町、山梨県)から登るのが一般的です。城山の眼下を中道往還が通っていて、街道を南へ進めばほどなく甲駿国境という位置なので、城の役割は自明であると思います。武田時代の本栖城では、九一色衆や西之海衆という近在の土豪集団が勤務していました。天正壬午の乱では中道往還を通って甲斐に入った徳川家康を、九一色衆の渡辺囚獄佑(ひとやのすけ)が新府城まで案内しますが、その間に都留郡に侵入した北条方に西之海衆や吉田の御師衆が呼応し、本栖城は攻撃されますが、九一色衆がこれを撃退、さらに徳川の加勢を得た渡辺囚獄佑が丸尾(まるび)での合戦で北条方を打ち破っています。城域の最初の方の連続堀切や、主郭背後の大堀切、主郭周りに多く見られる石積など見どころです。石積は溶岩流が地表で冷えて固まった玄武岩で、富士北麓に無尽蔵に転がっているものですが、ほんらい尾根上には存在しないのでわざわざ下から運び上げたことになります。主郭から北に伸びる尾根は、急斜面で滑りやすく、歩きにくいところですが、石積が多く見られるので見逃せない場所です。城山の尾根から烏帽子岳→パノラマ台→三方分山とずっと縦走することができます。女坂峠から中道往還の古道を降ってくるのも面白いと思います。
山城好きにはたまらない城址。火山岩の石垣は見ものでした。
河口湖駅からバスで上九一色中学入口まで。そこか樹海の中を歩き、登城口にたどり着きます。先に石塁を見てから登りました。尾根に出るまでは、細い道で滑りやすく注意が必要です。尾根に出るとあとは割とすんなりと進めます。
旧上九一色中学校の道に車を停めて樹海の中を歩くと、石塁跡があります。基本的にはここが城跡で、山を登った辺りはのろし台+戦闘時の備えかなと。登城口は樹海を歩いた先で、国道の下が地下通路になっていて、国道の向こう側からも来れそうです。登る道は細くて、幅30cmくらい…滑ったらそのまま滑落していく具合で、樹海の中ということもあり、何か恐怖を感じました。子連れはやめておいた方がよいかと。ただ、樹海ウォークは新鮮でした。GPSは要チェックです。
城跡と言う事は良くわかりますが、道は結構険しい部分も有ります。のろし台、主郭、堅掘、は標識があります、139号からも一応入れますが危険ですし、車も止めれません。本栖湖からのハイキングコースで、城山登り口に出るのが正規ルートです。
樹海にある石塁とストーンサークルのような遺構が不気味。石垣と堀切が素晴らしく、天気が良くて富士山も見え、最高の気分。
| 名前 |
本栖城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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本栖城はかつての主要道である中道往還を見下ろす標高1056mの城山山上に築かれた山城である。麓からの比高は約130m。尾根に登るまでは傾斜がキツいが尾根に入ると楽になる。道は整備されている。本栖城は尾根に沿って郭が連なる典型的な連郭式の山城である。郭間を堀切で区切り、ところどころに石垣が残っている。最奥にはのろし台と案内がある石垣づくりの櫓台が残っている。のろし台から先は急峻な切岸となっている。本栖城自体はそれほど大きなものではないぎ、特筆すべきは麓部分にいくつも残る石塁である。中道往還沿いに残る石塁は見学しやすいが、さらに奥や道を挟んで東側の青木ヶ原樹海内にもある。迷いやすいので注意が必要である。形状も様々で防塁型、円形、半円形など多様である。他ではなかなか見ることができない遺構である。溶岩石の石塁が苔むして緑色になっているのは雰囲気がある。本栖城は武田氏の城であり、1553年には確実に存在していたようである。城の目的は城の下を通る主要道中道往還の監視、関所機能であったと考えられる。武田氏滅亡後は徳川氏方の城となり、北条氏の侵攻を防いたことが記録に残っている。本栖城は城自体はそれほど規模は大きくないが、周辺の石塁などの遺構、また樹海内という特異な位置含め他にはない城趾なので一度訪問する価値のあるオススメの城跡である。