佐野国綱の築城遺構、見応え抜群!
清水城跡の特徴
土塁と堀が曲輪一周残っていて圧巻です。
一部に石垣もあり、歴史を感じるスポットです。
期待以上の遺構に感動し、満足できました。
鎌倉時代にこの地を治めていた佐野国綱が築城しました。佐野氏の一族である岩崎義基のために築かれたそうです✨️その後、佐野氏の一族や家臣が居住しましたが、1614年(慶長19年)に佐野氏の改易に伴い廃城になり、その後に現在もある興聖寺が置かれたそうです。土塁や堀が残っていますが、空堀ではなく水の張った堀だったようです💁♂️お寺内の為、本丸跡はお墓になっていますがほぼ正方形の本丸跡が確認できます☺私は、お寺の駐車場に車を置かせて頂きました。先に参拝させて頂き、その後に写真を撮らせて頂きましたが山門周辺は虎口状に塀があったのが印象的でした。ただ当時の状態がそうであったかは、わかりませんが☺
現在は寺となっており土塁と堀の後だけが残る。
2020/8/17興聖寺は周囲を土塁で囲まれており、とても浅くなっているが堀跡もある。なかなか見ごたえがある。
土塁と堀が曲輪一周残っており、一部に石垣もあります。中へ入ってしまうとお寺です。お城は江戸の初期に廃城になっており、残った曲輪がお寺として使われたようです。
土塁と堀が曲輪一周残っており、一部に石垣もあります。中へ入ってしまうとお寺です。お城は江戸の初期に廃城になっており、残った曲輪がお寺として使われたようです。
期待しないで行ったので、思ったより遺構が残っていて良かったです。お寺の周りに土塁と堀が残っています。
| 名前 |
清水城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0283-61-1177 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
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遺構の見応えとしての評価。2026年5月に訪問。佐野駅や佐野新都市バスターミナルからはレンタサイクルがオススメ。自転車では佐野駅から20分程度。城域は興聖寺を含む周辺一帯とおもわれるが、分かりやすい遺構としては興聖寺を囲む高さ2m前後の土塁と堀跡が残る。案内板は興聖寺東側の山門に立つ。見学時間は20分ほどだろうか。以下、案内板より---佐野市指定史跡清水城跡昭和49年3月1日指定『栃木県誌』などによれば、安貞2年(1228)、佐野国綱が岩崎義基のために築いたとある。後、子孫が代々居住したが、永正年間(1504~1521)、義基12代の孫、左馬介重長が岩崎城へ移り、 大永元年(1521)、佐野秀綱の居城となる。慶長19年(1614)、佐野氏改易とともに廃城となる。寛永12年(1635)、興聖寺が田之入(田之入町)からこの地に移され、現在に至っている。城跡の規模は、東西116m、南北133mのほぼ方形である。四方に土塁と、その外側に堀の遺構が残る。古絵図によると、大規模な城の本丸がこの城跡に当たる。この城域は本丸・北二の丸・南二の丸・三の丸からなり、それぞれ曲輪が水堀で囲まれていた。さらに周辺には侍屋敷があって、 有力な家臣が配置されていた。古文書『佐野領御館野林清水御城内』で、この城を「清水御城」「清水ノ城」 「吉水の城」と記されていることから、名称を「清水城跡」とした。『栃木県市町村史(昭和30年刊)』 以後の『城郭大系(村田修三編)』『栃木県城館跡(昭和58年刊県文化事業団編)』等では、城名を 「興聖寺城」とも紹介している。平成18年1月 佐野市教育委員会。