1476年創建、青松寺で心静まるひととき。
萬年山 青松寺の特徴
1476年に開創された歴史ある曹洞宗の寺院です。
大都会の中に広大な敷地と豊かな緑を持つお寺です。
籔内佐斗司氏の作品や特徴的な噴水が楽しめる空間です。
創建は文明八年(1476年)で、本尊は釈迦牟尼如来。太田道灌公が雲岡舜徳禅師を招聘して創建。その後江戸府内の曹洞宗寺院を統括した江戸三箇寺の一つとなり、境内に「獅子窟学寮」を設立して幾多の人材を輩出しています。境内には観音聖堂があり、聖堂内の高座に観世音菩薩が祀られていて、天井には飛天が舞い、道元禅師(承陽大師)の御詠歌「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」が描かれています。また、荘厳な造りの山門は上層に十六羅漢像が、下層には四天王像が座しています。都会の喧騒を忘れることが出来て、心静かに過ごせました。
新橋の愛宕にあるお寺。両側には高層ビルとタワーマンションがそびえる。向いが慈恵医大病院。訪れた時山門は改修中で足場やパネルに覆われてみることができなかったが、立派な山門のようである。山門の脇から入った。境内はちょうど紅葉が見ごろで風情のある美しい境内であった。この日訪れたのは理由があり、赤穂浪士の一人堀部弥兵衛が討ち入りに際し遺言をしたため、そこには本人と婿養子の堀部安兵衛の遺体はここ青松寺の墓に葬るよう書いていた。青松寺は堀部家の檀那寺であった。ある意味忠臣蔵ゆかりの地でもある。そんな思いで訪れた。
曹洞宗萬年山青松寺。文明8年(1476)の開創でご本尊は釈迦牟尼仏。山門・中雀門をくぐると立派な本堂が現れ、右側には観音聖堂、左側には坐禅堂がそれぞれ建てられています。昔、境内にあった獅子窟学寮は現在の駒澤大学の元になったそうですよ。!!
最寄り駅 東京メトロ日比谷線神谷町より徒歩7分拝観料は無料 トイレ無し山号 萬年山宗派 曹洞宗本尊 釈迦牟尼仏江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建。当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。長州藩、土佐藩、広島藩、津和野藩、津山藩、岡藩、安房勝山藩、請西藩などが江戸で藩主や家臣が死去した際の菩提寺として利用した。江戸前期に存在した徳永氏時代の高須藩や沢海藩、玉取藩の菩提寺でもあり、これら各家が改易され旗本となっても当寺に墓所を営んでいた。との事です港区は愛宕ヒルズに隣接するお寺ですが周りの喧騒とは裏腹に境内は静かな静寂があります山門には立派な四天王像があり素晴らしいですね直ぐ近くには愛宕神社もあります。
『坂の上の雲』に登場される軍人·明石元二郎大将、中村彰彦先生著の『遊撃隊始末』に登場する請西藩主·林忠崇公の菩提寺です。立派な山門の両側には四天王様が配置されてます。本堂裏手には立派な庭園が。墓地は裏手の高台にありました。御朱印授与は無い旨、掲示がありました。
とても静かです。他に人はほとんどいません。本堂の扉は閉じられてますが、自分で開けて中に入れます。お線香もあげてきました。
港区愛宕。1476年創建。本尊は釈迦牟尼仏。江戸城を築いたことで知られる太田道灌が雲国舜徳を招聘して創建。創建当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町)にありましたが、徳川家康の江戸城拡張のために現在地に移転しました。境内には獅子窟学寮があり、多くの人材を輩出し、明治時代に高輪の泉岳寺学寮、駒込の吉祥寺旃檀林と統合して現在の駒澤大学になりました。高層ビルの立ち並ぶ地区にこんな立派な山門のある大きなお寺があるとは思いませんでした。山門をくぐれば開放感ある静かで広々とした空間が広がっています。
1476年に開創された、曹洞宗江戸三カ寺の一つに数えられるお寺です。
文明8(1476)年、太田道灌が開基。曹洞宗。慶長5(1600)年、現在の地に移動。都会の中の都会、港区です。日曜ということでもあるのか、静寂がとても心地良いです。暑かったので、通り過ぎただけですが、良いところでした。
| 名前 |
萬年山 青松寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3431-3575 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
2026年4月22日(水)に撮影。先を急いでいたので、正面の写真のみです。ホームページ:「開山当初は麹町貝塚(今の国立劇場・最高裁判所の辺り)にあり、「江戸貝塚青松寺」と称されました。その後、慶長五年(1600年)、徳川家康公が江戸城の外堀をつくる際に、愛宕山南に続く丘陵「含海山」と呼ばれる現在の地へと移りました。寺の中に僧堂「獅子窟」を擁し、幾多の人材を輩出。明治八年(1875年)、獅子窟学寮内に曹洞宗専門学本校が開校します。翌年、駒込吉祥寺の旃檀林と合併し、今日の駒澤大学へと連なっていきます。大正十二年(1923年)の関東大震災では堂塔は烏有に帰してしましましたが、歴代住職と檀信徒の青松寺復興に寄せる思いはあつく、今日の時節到来を迎えて再開発を行い、往時の伽藍を再建し、願いが叶えらました。これにより青松寺本来の姿に立ちかえり、活溌な機能を果たす仏法興隆の場として、世に広く応じる事のできる構えを備えるに到ったのです。」