上杉謙信公の館跡で歴史探訪。
御館跡の特徴
御館跡は上杉謙信公が造営した館の跡地です。
関東管領上杉憲政の歴史的な足跡が残る場所です。
御館公園内には上杉景勝や景虎の争いを伝える案内板があります。
越後の虎、上杉謙信亡き後、跡目を争った上杉景勝と対峙した上杉景虎が拠点とした館の跡地。いわゆる御舘の乱として知られる歴史の舞台。軍事的拠点である春日山城をいち早く掌握した景勝が、約2年争いを制し跡目を相続した。敗れた景虎の御舘は滅ぼされ、鮫ヶ尾城にて自害。住宅街に囲まれた公園に碑文と歴史の案内板があり、とても分かりやすく説明されていました。現在の公園から想像は難しいのですが、館というよりは城であったようです。車で行かれる方は駐車場がありませんのでご注意ください。車の運転を交代でするとか近所の方に聞いて一時的に路駐するなどご注意ください。
御館跡全体の中心部だった所を公園として遺したそうです。遊具は滑り台のみシーソーは整備されていないため使えず、ブランコも取り外されていました。ただ、敷地は広いので子どもが走り回るには良いかもしれません。
町の中の児童公園になってます。石碑が建っています。線路近くに移動すると、春日山が見えて、位置関係を確認することが出来ます。
上杉謙信公亡き後の後継者を争った甥の上杉景勝と北条からの養子の上杉景虎。上杉景虎はここ御館を本拠地としていたことから、ここが争いの舞台となりました。上杉氏を二分した争いは甥の上杉景勝が勝者となり、御館の乱と呼ばれた争いは終結しました。
あの御館の乱の御館です。住宅街の公園に石碑と説明案内板が建っているのはありがたい。
上州より逃れた関東管領上杉憲政の館跡。現在は住宅地内の公園と化している。駐車場無し。路駐。
御館公園にある案内板は次の通り御館(みたて)は、小田原城主北条氏康(ほうじょううじやす)に敗れ、越後に逃れた 関東管領上杉憲政(うえすぎのりまさ)のために上杉謙信(うえすぎけんしん)公が造営した館で、後に憲政から関東管領職を継いだ謙信公が 政庁としても使用したといわれています。御館は、古い地籍図から二重の堀に囲まれた東西250メートル・南北300メートルの大規模な館であったと考えられています。東京ドームの1.6倍の大きさでした。中心の郭(くるわ)は、四方を堀で囲まれた東西120メートル・南北150メートルの規模で、ここ御館公園の6倍の大きさであったとされています。発掘調査が行われた40数年前に、越後の中世史を語る貴重な遺跡であることから、中心部分が「御館」の名を冠した公園として残されました。少し足を伸ばしてJR線路まで出てみてください。右手の独立した山が春日山城です。
歴史的には有名ですが、公園です。
| 名前 |
御館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
025-526-5111 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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今は単なる公園ですが説明書きなどがあります。時間あるなら見ても損はないです。