源氏物語ゆかりの雲林院。
雲林院の特徴
雲林院はかつて淳和天皇の別荘があった場所です。
源氏物語や伊勢物語の舞台として知られる歴史的なお寺です。
大徳寺の塔頭で、十一面千手観世音菩薩が安置されています。
京都府京都市北区紫野雲林院町23にある雲林院です。紫式部が晩年過ごしたと伝わっています。因みにお父さんの藤原為時は、滋賀県大津市の三井寺で出家しています。式部の父、藤原為時は七十歳を過ぎて三井寺に出家しています。三井寺は為時・紫式部一家には縁の深い寺で、式部の母の兄弟が三井寺の僧侶になっています。雲林院は、平安時代の紫野の史跡であり、この付近一帯は広大な荒野で、狩猟も行われていたそうです。淳和天皇(在位823~833)は、ここに広大な離宮紫野院を造られ、度々行幸された。桜や紅葉の名所として知られ、文人を交えての歌舞の宴も行われた。後に、仁明天皇皇子常康親王(つねやすしんのう)に伝えられる。貞観11年(869)に僧正遍昭(そうじょうへんしょう)を招き雲林院と呼ばれ、官寺となった。寺としての雲林院は菩提講が名高い。歴史物語「大鏡」は、この菩提講で落ち合った老人の昔物語という趣向で展開する。「源氏物語」「伊勢物語」にも雲林院の名は現れ、「古今集」以下歌枕としても有名で、謡曲「雲林院」はそうした昔をしのんで作られています。鎌倉時代には、雲林院の敷地に大徳寺が建立された。現在の観音堂は宝永4年(1707)に再建され、十一面千手観世音菩薩像、大徳寺開山大燈国師像を安置しています。アクセスは、北大路駅2出口から徒歩約14分鞍馬口駅2出口から徒歩約16分今出川駅1出口から徒歩約24分。
広大な荒地に「離宮紫野」が出来て、その後に官寺「雲林院」が出来て、「源氏物語」「伊勢物語」等にも登場。鎌倉時代に敷地内に「大徳寺」が出来た。と案内板に在りました。案内板にさり気なく西行さんの歌が。
大徳寺近くの老舗「大徳寺納豆一久」から横断歩道を渡ってまっすぐ進んで5分ほどで着きます。雲林院は「源氏物語」を始め、「枕草子」「伊勢物語」にもその名が登場する由緒ある場所ですが、あまり知られていない…穴場です。境内は広くはないですが、紫式部が雲林院周辺で生まれ育ったとされ、紫野という地名になったという話もあるので、紫式部が好きな方には魅力的な場所かもしれません。夏は花が綺麗です。
今の雲林院は、1324年大徳寺の塔頭になり応仁の乱で廃絶後1707年に寺名踏襲の上再建十一面千手観世音菩薩と大燈国師が安置されこじんまりしています。創世期の頃が知りたくて伺いました。今の雲林町を越える狩猟も行った広大な荒野に桓武天皇の皇子淳和天皇が風雅を楽しむ社交の場として造営した紫野院の頃です。のち桓武天皇の孫僧正遍昭が雲林院とし、この頃西行の歌の中に雲の林の寺の記述(満開の桜)が桜の名所であった事が伺えます。今は民家やマンションが建ち残されたものはありませんが、有栖川 御所橋 南大門 西門 堀川 等想像しながら散歩してました。過去に戻る事は不可能ですがゆっくりしました。
源氏物語の縁のお寺だそうです。源氏物語の藤壺の縁です。今、ちゅう源氏の源氏物語スタンプラリーが開催されていて、そのスタンプがいただけるお寺です。静かで可愛いお寺です。
大徳寺への散歩の通り道、今は雲林院はその一隅だが、平安時代に天皇の隠居所、その敷地内に大徳寺が創建されたそうです。
源氏物語に所縁のお寺、観音堂をお詣りできます。
紫式部の「源氏物語」賢木にこの寺名がでてくる。源氏が藤壺との逢瀬が巧く行かず心沈んでいる時、秋の野に誘われて紫野雲林院に詣でた、とある。ここは、亡き母桐壺の御息所の兄君の律師が籠っているお寺であると物語では書かれている。源氏はここに二、三日逗留している。その状況を事細かに描写している事から考えると紫式部もこの寺に逗留した事があるのだろうと思うのも面白い。また、紫式部はこの辺りで生まれ育ったと言われている。そして、紫式部のお墓はここから東の近くにある。
もとは淳和天皇の別荘であった紫野院を、のちに僧正遍照が寺院として改め、雲林院とした。当時は広大な敷地を誇り、桜や紅葉の名所として多くの文人が通ったらしい。その後、鎌倉時代から衰退をたどり、大徳寺の塔頭となったものの、応仁の乱で灰燼に帰してしまった。江戸時代に復興されたが、往昔の姿を偲ぶよすがもない。<雲林院と古典文学について>【僧正遍照】雲林院は僧正遍照が寺院として興した。雲林院はまさに僧正遍照ゆかりの地と言えよう。「天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」(僧正遍昭/百人一首)・・・境内に歌碑あり【源氏物語】「賢木」の巻で登場。藤壺の中宮から冷たくされた源氏が、へそを曲げて雲林院に籠る。そこで天台宗の経典60巻を読んで、わからないところを僧たちに聞いたりしながら過ごしている。なお、紫式部の生地は紫野との説もある。紫野から紫式部の名が付いたという。紫式部は普段から雲林院には通っていたようだ。【西行】「これやきく雲の林の寺ならん 花を尋ねるこころやすめん」(西行)『雲の林』とは桜が満開になっている様子を表わしたもの。【古今和歌集】「紫の雲の林を見わたせば法にあふちの花咲けにけり」(古今和歌集)【伊勢物語】伊勢物語と雲林院の関係は、謡曲「雲林院」による。摂津芦屋の里に住む公光という若者は伊勢物語の大ファン。夢の中で在原業平と出会ったことから、京都の雲林院にやってくる。夜になり業平の霊が現れて二条后との逃避行の逸話などを話し聞かせるというストーリー。伊勢物語フリークとしては外せない。
| 名前 |
雲林院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-431-1561 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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2024年3月10日に参拝しました。大徳寺の塔頭ですが、北大路通りを渡った南側に位置しています。当時は、広大な境内を有する大寺院でしたが、現在はその面影はなく紫野雲林院町の街並みに溶け込み、境内はゆっくりとした時間が流れていました。紫野雲林院町は、紫式部が生まれ育ったとされる地であり、源氏物語にも雲林院を彷彿させる場所や情景が描かれています。また、晩年を過ごしたのも雲林院との説がありますので、紫式部ファンや文学ファンの聖地になっているようです。