坂上田村麻呂ゆかりの神社。
尚徳諏訪神社の特徴
京都駅から近く、隠れた神社で歴史を感じられます。
801年に坂上田村麻呂が関与した神社の御由緒が魅力的です。
烏丸五条のビル街の裏手に位置する、緑に囲まれた境内です。
西暦801年ころに信州の諏訪神社を分霊したことを起源とする由緒ある神社です。現在の社殿は西暦1866年に再建されたとのこで小さいながら趣のある神社です。
京都駅近くにある小さな神社。
御祭神 建御名方神、八重事代主神、諏訪大明神境内社 弁財天801年に坂上田村麻呂が諏訪大明神の御分霊を勧請したと伝えられています。
烏丸五条の ビル街の 裏側にあって 細い 通りが交錯する 中にある。 一方通行 通りなので注意が必要。 神社は 市街地の中にあって、 そこそこの広さはある。 創建のきっかけは、 桓武天皇が征夷大将軍である 坂上田村麻呂に 、蝦夷の平定を命じ、 その 成功の報告後、 天皇から 祝う形で 建立された。 後年荒廃するが 、特に 幕末期においては 禁門の変によって 全焼 。その後 少しずつ再建され、 今現在に至っている。
昔は広い敷地の神社だったりする。「坂上田村麿」の創建。その後、荒廃して「源義経」の整備により復興。「後醍醐天皇」当時の戦乱で荒廃。足利により復興。幕末の「禁門の変」で荒廃。神社に歴史ありました。
御由緒書きによると桓武天皇の勅により坂上田村麻呂は征夷大将軍となり東夷平定に向かいました。坂上田村麻呂は信州諏訪大明神を深く信仰されており、ご神威、ご加護のもと戦果をあげて平安京に戻られました。そのお礼に信濃より諏訪大明神の御分霊を勧請して祀らたのが神社の創始とのこと。歴史のある神社です。此方の神社は、管理が宗教法人から諏訪町町内会となり神社名が町名の「下諏訪諏訪神社」から「尚徳諏訪神社」に変更になり今日に至ります。神社は、テントが張られ、長椅子が置かれて憩いの場所的な雰囲気が有ります。境内は手入れされた綺麗な神社です。
延暦二十年創始とあります。
| 名前 |
尚徳諏訪神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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祭神は建御名方神と八重事代主神。797年、桓武天皇より蝦夷平定のため征夷大将軍を拝命した坂上田村麻呂は、かねてより信州の諏訪大明神を深く進攻しており、そのおかげで戦果を挙げ、801年、平安京に凱旋した。その御礼のため、五条坊門の南に社殿を造営し、信州より諏訪大明神の分霊を勧請し祀ったのが創始である。以来、時代を経るごとに社殿も荒廃していったが、その都度、源義経や足利頼光、徳川幕府らによって社殿と境内地が復興された。1864年の禁門の変(蛤御門の変)の兵火では、社殿はことごとく焼失し、再建もおぼつかなかったが、孝明天皇が再建のためにと、金150両と菊の紋入りの提灯一対を下賜され、1866年に再建し、今日に至っている。祈念祭は3月17日、例祭は9月の第2日曜日、火焚祭は11月17日。また1日と17日の月2回、月次祭が執り行われる。