和歌山市の出世神社、吉宗公ゆかり。
刺田比古神社(岡の宮)の特徴
和歌山市の中心にありながら、パワースポットとして知られています。
徳川吉宗公ゆかりの神社で、出世のご利益があると言われています。
宮司さんがとても気さくで、丁寧なお祓いの説明が受けられます。
初詣でいきました。お参りまで並びましたが、早かったデス。帰りたなたませんを食べました。とても美味しかったです。
刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)。和歌山市片岡町。式内社(小)、旧県社。【祭神】道臣命(みちのおみのみこ) 大伴佐弖比古命(おおともの さてひこのみこと)【関係氏族】大伴氏資料によると、刺田比古神社社地は、聖武天皇が神亀元年(日本書紀)造営した離宮の遺趾にして、岡の宮と号している。神官は、古来より現在まで代々、大伴氏裔岡本家が世襲している。伴信友の著した『神名帳考証土代』などが支持する説で、その根拠は示していないものの、「刺田比古」を「サデヒコ」と呼んだ、もしくは「サデヒコ」が転訛したとするものでしょう。『新撰姓氏録』左京神別に道臣命の十世孫、佐弖彦の後裔であるという「大伴連」および「榎本連」が登載されており、こうした大伴氏の一族が当地にも居住し祖を祀ったのが当社とも考えられます。『日本書紀』では「大伴狭手彦」と表記しており、二度も朝鮮半島に赴いて任那や高句麗を平定する等の活躍が見られます。また『三代実録』貞観三年(861年)八月十九日条によれば大伴狭手彦は大伴金村の三男であることも記しています。現在の当社はこの説に則り、「大伴佐氐比古命」、そしてさらにその祖である「道臣命」を祀っています。当社は豊臣秀吉による和歌山城築城の際に大伴氏の後裔であるという「岡本左介」なる人物を社司としたといい、以来岡本家が当社の神官を務めています。つまり大伴氏の末裔が当社を奉斎しており、現在の御祭神も大伴氏に関連した説を採ったのでしょう。とあります。
和歌山市片岡町に鎮座する刺田比古神社(通称・岡の宮)は、延喜式内社。祭神は道臣命と大伴佐氐比古命。岡一帯の産土神として崇敬され、和歌山城の守護神とも伝わる。境内に岡の里古墳を抱え、古代の息吹を今に伝える。市街地至近ながら静謐で、開運・出世の神として信仰を集める。意外にもこじんまりした神社。場所は非常にわかりにくい。境内駐車場は少数。臨時駐車の案内があったので、そこに車を停めた。神主のご母堂は気さくな方で、御朱印を書いていただいた後で、いろいろお話しさせていただきました。
徳川将軍 吉宗 公が奉納された太刀「光世」があるとの事で和歌山城へ旅行の折に参拝させて頂きました。公開時期がある様子で見れず。今回は御朱印と太刀守りを頂いて帰りました。公開時には太刀を見にまた来ます。神社のホームページの掲載写真には戦前で焼ける前の立派な光世の拵えが載っています。
御利益抜群と紹介されたので来てみました。御守りに刀の形の物があったので頂きました。なんの案内もないけど角の駐車場は停めてよかったのかしら?
下調べせずに参拝しましたが、岡の里古墳の看板に興味を惹かれました。社殿に移動歴が無ければですが、故人の祭祀の場がいつしか神社になっていたということなんですかね。
正直、入り口が分からなかった。Googleマップで確認すると隣のカフェ側から歩いて入る感じになってた為、デフォルト表示から上空写真に切り替えたら入り口がわかった。手水や社務所付近に蚊取り線香が置かれてあり気遣いを感じた。神社は丁度改修工事をやってる途中でした。(ある意味レア)御朱印も弁財天とまとめていただきました。個人的で申し訳ないが、馬の作り物はちょっとチープな感じが漂っていました。ごめんなさい。
和歌山市の市街地の中心部に位置しつつ、また一見地味でありながら、実はパワースポットの一つではないでしょうか。和歌山で通称「岡の宮(おかのみや)さん」とか、「岡の宮神社」というのは、この刺田比古(さすたひこ)神社のことを指します。なお、元日は鳥居(⛩️)のところまで参拝者の行列ができ、臨時の駐車場も混雑します。
キシュー・トクガワ・ファミリーと深い縁を持つジンジャ・シュライン。和歌山城址の南側にあります。入口は南側ですので城址方面からだとぐるりと回りこむ感じになります。
| 名前 |
刺田比古神社(岡の宮) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
073-422-6576 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 6:30~19:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
こじんまりした神社ですが、社務所は平日でも人います。