巨大な孔子像が迎える、学びの聖地。
湯島聖堂の特徴
御茶ノ水駅から聖橋を渡ると、湯島聖堂に到着します。
湯島聖堂内にある孔子像は、世界最大の高さ4.57m、重さ1.5tの銅像です。
台湾のライオンズクラブから寄贈された、立派な孔子像が印象的です。
御茶ノ水駅から歩いて訪問。最初は名前からお寺か神社のような場所を想像していましたが、「聖堂」の”聖”は聖人君子の「聖」で、ここは儒教の創始者・孔子を祀る施設なんですね。キリスト教とは関係ないと知って面白かったです。江戸時代には幕府の学問所として使われ、日本の最高学府のような役割を担っていた場所だそうです。歴史を知ってから歩くと見え方が変わります。境内は都心とは思えないほど静かで落ち着いています。一方で外国人観光客がかなり多くて少し意外でした。日本人より多いくらいだったかもしれません。「なぜここを知っているんだろう?」と不思議になるくらいです。もう一つ意外だったのは、思っていたより自然が多く、手入れも過剰ではないこと。最初は「千代田区なのに意外だな」と思いましたが、ここは文京区でした(笑)。その少し素朴な雰囲気も、この場所には合っている気がします。派手な観光スポットではありませんが、歴史が好きな方や、静かな場所を散策したい方にはおすすめです。歴史を少し調べてから行くと、より楽しめると思います。
湯島聖堂は、御茶ノ水駅から聖橋を渡ってすぐの立地ですが、鬱蒼とした樹木に囲まれ、黒塗りの大成殿や門が厳かな空気が流れています。境内は無料で自由に散策することができました。大成殿の建物内は、公開時に有料になるそうです。ここは、文京区湯島にある孔子廟で、江戸幕府の官学の中心だった場所です。林羅山の邸内にあった孔子廟「先聖殿」を、5代将軍徳川綱吉がに現在地へ移し、規模を拡大して「大成殿」と改称したのが始まりです。その後、11代将軍徳川家斉の時代に「昌平坂学問所」が開設され、幕府直轄の最高学府となりました。
昌平坂学問所の跡地でもあり、国立博宇b付かん、東京師範学校(現筑波大)、東京女子師範学校(現お茶の水女子大)の発祥地でもある、まさに我が国近代学問発祥の地です。湯島聖堂公式HPより徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。
静かなる学問の殿堂JR御茶ノ水駅近く、聖橋を渡ってすぐの場所にある史跡。設立は元禄3年(1690)。5代将軍綱吉公が創建した儒学の学問所。といっても学舎があった場所には現在東京科学大学があり、今は博物館のよう。団体の来日観光客が多い印象。広い敷地には静かな時間が流れていた。
筑波大学の「彫塑展」を実施しているタイミングで参詣。湯島聖堂に入ると、御茶ノ水の駅前の喧騒から一転して、門をくぐった瞬間に空気が変わるにを感じます。外は車も人も多い。だが中は、江戸の「学び」がまだ地面に残っている感じがする。ここは五代将軍 徳川綱吉 が、上野忍岡の 林羅山 邸内にあった孔子廟をこの地へ移して整えた聖堂で、のちに幕府直轄の 昌平坂学問所 へ発展した場所。つまり、単なる孔子廟ではない。江戸幕府の官学の中心であり、近世日本の知の中枢だった地点です。まず 孔子。中国儒学の祖で、秩序・倫理・学問の象徴。次に 林羅山。徳川政権の思想的基盤を支えた儒者で、林家は代々この学問を担いました。そして 昌平坂学問所。寛政9年に幕府直轄となり、幕臣教育だけでなく諸藩の俊秀も学ぶ、江戸最大級の学問機関になった場所です。さらに明治になると、ここには師範学校や女子師範学校が置かれ、現在の筑波大学やお茶の水女子大学の系譜にもつながる。要するに湯島聖堂・文京区は、儒学の聖堂であると同時に、日本の近代教育発祥の地の一つでもありますね。関東大震災で大きな被害を受けたあと、昭和10年に伊東忠太の設計で再建された大成殿は、黒を基調にした重厚な姿で、いわゆる神社仏閣の朱塗りとは全然違う。派手な観光地ではないですが、東京が「文教のまち」になった根っこが、ここにかなり生々しく残っています👏
2026年2月、神田明神への参拝帰りに寄りました。10年振り2度目の訪問です。当日と比べるとかなりアチコチ痛んでいる様に感じました。湯島聖堂(ゆしませいどう)は、朱塗りの神田明神とは対照的に、漆黒の外観が非常に印象的な史跡ですね。ここは江戸時代の1690年、5代将軍・徳川綱吉によって建てられました。綱吉は「生類憐れみの令」で有名ですが、一方で儒学(特に朱子学)を重んじ、文教の振興に力を注いだ将軍でもあります。当初は上野忍岡にあった林羅山の邸内から、現在の地に移されました。幕府直轄の「昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)」が開設され、江戸時代の最高学府となりました。漆黒の「大成殿(たいせいでん)」最大の見どころは、孔子を祀る本殿である大成殿です。建物全体が黒漆で塗られた総漆塗り。重厚で静謐な空気を纏っています。屋根の両端には「鬼龍子(きりゅうし)」、屋根の上には「鬼豹(きひょう)」という想像上の怪物の像が置かれています。これらは火災除けなどの意味があり、独特の造形美があります。境内には、1975年に中華民国(台湾)の台北ライオンズクラブから寄贈された、世界最大級の孔子銅像が立っています。高さは約4.5メートルもあり、その存在感は圧倒的です。昌平坂学問所の跡地であることから、現在もお茶の水界隈の「学問の府」としての象徴になっています。
JRお茶の水駅の斜め前 都心の喧騒を忘れる荘厳な静けさ 歴史を感じます。中の観覧料もわずかでしたが 賽銭のつもりで払って入りました。別に、入り口だけでも充分満喫できる施設です。
何十年ぶりかに東京に来ました。御茶ノ水駅から徒歩1、2分すぐ近くにある湯島聖堂。歴史を感じる体験が出来ました。
初めて来訪しました。祝日だったので200円の拝観料を払って大聖堂の中も見学。すごく暖かい日で人も多かったけど、中はヒンヤリとしていて空気が違う気もしました。
| 名前 |
湯島聖堂 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
03-3251-4606 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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7月平日9時30分に行きました。開門直後なので誰もいませんでした。静かだったので少し寂しさを感じましたが独特の雰囲気で良かったです。千代田線の新御茶ノ水駅B1出口から5分程度です。