歴史を感じる又兵衛の墓所。
景福寺の特徴
後藤又兵衛夫妻と子のお墓がある歴史深い寺院です。
鳥取藩に仕えた為勝の菩提所としての重要な役割があります。
整備された墓内で歴史を感じる自然石の墓石が並んでいます。
大きなお寺で後藤又兵衛を始め多くの先人達の墓所が残されています。
和尚さんが優しく、法事や墓の事など、わからないことに対して色々と教えてくれる。
鳥取市の観光地の一つです。
曹洞宗のお寺さんです。
後藤又兵衛の息子為勝が鳥取藩に仕えた縁から菩提所として景福寺に又兵衛夫婦と為勝の墓があります。又兵衛の遺髪が埋められていることは非常に珍しいです。他にも鳥取藩城代家老の堀尾家代々の墓もあります。近くの玄忠寺と一緒に訪問したいお寺です。
後藤又兵衛夫妻と子のお墓があります。他、鳥取藩城代家老荒尾氏一族のお墓は大小墓石が整然と並んでいます。
パートナーの実家のお墓があるので 墓参りです。
墓内が整備されている。
「景福寺」は古くからのお寺です。豊臣期の武将とその夫人、その子や鳥取藩政期の家老や藩士、剣豪、絵師等多くの先人が眠っておられます。その中に正門を入りすぐ右側に藩士で史家、岡島正義(おかじままさよし)のお墓があります。今風に言えばジャーナリストです。過去の記録書類や日記を調査繙いて実地踏査して事実を解明したり、自分の生きた時代の出来事を鵜呑みにはせず現地に赴いて取材し確かめています。岡島氏は1784年(天明4年)に生まれ1859年(安政6年)75歳で亡くなります。40代まで藩の仕事に従事、その後の35年間に亘って「因府歴年大雑集(いんぷれきねんだいざっしゅう)」15巻等を手掛けました。時代は1632年(寛永9年)から1854年(嘉永7年)までの222年間をまとめ記録に残しました。その恩恵を今の時代の人たちが受け継ぎ後世に伝えていくことができます。今日はそのお礼に伺いました。(合掌)
| 名前 |
景福寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0857-22-2767 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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南北朝時代(1337年 – 1392年)、通幻寂霊禅師が開山した曹洞宗の寺院です。初は現在の兵庫県川辺郡猪名川町にありましたが慶長年間(1596~1615)荒尾隆重(当時の姫路城の城主池田輝政の家老)が深く帰依し姫路城下に境内を移すと歴代荒尾家の菩提寺としました。その後、主君池田家が岡山藩(元和2年に移封)、鳥取藩(寛永10年移封)と移封すると荒尾家、景福寺ともども随行し現在に至っています。その為、景福寺は猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市の4箇所に存在し曹洞宗四景福寺と呼ばれています。景福寺の境内には歴代荒尾家の墓碑の他、大坂の陣で豊臣方として戦った後藤又兵衛の墓があります。後藤又兵衛は大隈城1万6千石の領主でしたが、出奔し、豊臣秀頼に軍師として迎えられました。さらに、徳川家康からも、寝返りの誘いがあったほどの名将です。