学びと桜が共鳴する郷社。
亀山神社の特徴
春には美しい桜が咲き誇り、訪れる人々を魅了します。
板野東小学校の隣に位置し、子供たちの声が響く中で参拝できます。
古くからの郷社として地域に根付いた、立派な神社です(^o^)。
以下、境内にある石碑の内容です。いちぶ漢数字を算用数字に改め、見えない箇所を想像で補ってます。ーー◎改築記念碑当社は鎮祀の年代不詳なれど 須佐之男命を祀り古来八坂神社とも又天王社とも申して親しまれておりました明治の末政府の勧奨にて 春日神社大鳥神社愛宕神社倉稲神社船戸神社等を合祀し 大正元年10月2日地名をとつて亀山神社と改称し例祭を10月18日と定めました その後 皇紀二千六百年記念事業として 上中段の瑞垣を始め水屋等を造り 境内の整備に力を尽くしつつありましたが 日支事変起り次いで大東亜戦争となり敗戰の結果 昭和21年3月1日から 神社は宗教法人として出発する事となつて 政教分離の立前から国家の管理支援を断れるとともに恵まれぬ時代を迎えたのでありますしかし戰後30年国民挙げての復興努力が実り経済力世界第3位にまで成長発展するに及び敬神崇祖の美風もまた高まりわが亀山神社においても社殿改築の議が起り 昭和45年7月5日改築奉賛会が設立され爾来たびたび会議を重ね遠近数社の新築社殿を拝観するとともに 寄付石に銘記のとおり志篤き多くの人々から多額の浄財を得て 氏子出身の剛建築事務所々長速水剛氏の設計のもと工事は株式会社清組斎藤清作氏の請負により 昭和47年8月19日假殿遷座祭 同月21日地鎮祭 48年2月9日上棟祭 同年10月12日本殿遷座式を そして49年10月12日めでたく竣工奉告祭を奉仕し 関係者一同待望久しければ喜びもまた一入であります 氏子崇敬者として産土大神の御社殿を建造申しあげたことは 神縁ことに太くして千載一遇の美挙だと信じますここに神人ともに弥栄を寿ぎ 改築を祈念して碑を建て 沿革を記し次の世に残す次第であります昭和49年10月12日亀山神社宮司 下原 宗亍田尾 ??亀山神社改築奉賛会。
鳥居と社殿がある神社です。鳥居は三基あり、手前の鳥居横に亀山神社の石碑があります。真ん中の鳥居周辺には、狛犬や燈籠、改築記念碑があります。石段上には三つ目の鳥居があり、狛犬や弘化年間や天保年間の燈籠、手水舎、百度石などがあります。古い地神塔二基と祠が横並びに奉られています。社殿前には青銅製の神馬も奉られています。神社裏には小型の狛犬が仲良く並んでいます。神社横の優しいおじさんにあまなつをいただき、甘すっぱくておいしかったです😁
春には桜が綺麗🌸
板野町大寺に古くからある郷社です。この地域にもともと複数あった神社を明治期に合併している為、主祭神は須佐之男命を初め日本武尊、大山祇命など数柱の御祭神をお祀りしています。社殿の東側をさらに上に登ると阿王塚山歓喜天(通称 お聖天さん)が祀られています。ここは元々阿王塚古墳(伝 亀山天皇陵)があった場所で、「天皇」の文字が刻まれた神獣鏡や刀剣が出土したとの事です。金泉寺裏にも長慶天皇の御陵と伝わる古墳や、更に小さな古墳が付近一帯に点在しており、「王子」等の地名からも、古くから皇室との関わりがあったか、有力な豪族が居た事が伺えます。秋の例大祭には烏帽子、直垂姿の氏子中が舁く神輿や山車、獅子舞(大正11年には当時皇太子であった昭和天皇の台覧を賜る)が披露されていましたが、最近は氏子中の高齢化とコロナの影響もあり、神輿渡御自体が行われていません。派手な社殿ではないですが、古い縁起を持ち、地域住民の尊崇を集めてきた歴史的なロマンの詰まった神社ですので、是非御参詣下さい。(参考:板野町史、神社境内石塔・碑文)
学校の隣にあり子供たちの声を聞きながら参拝。良いです。
立派な神社だよ(^o^)
前に板野東小学校。冬休みでも野球部が練習している。裏は福蔵寺の墓地。神社前が広いので数年前迄花火大会等夏は賑わっていた。近所の人が危ないと苦情が出たらしく今は中止となる。
| 名前 |
亀山神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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