江戸時代の歴史を感じる米蔵。
橋津藩倉古御蔵の特徴
鳥取藩の年貢米貯蔵庫としての歴史を感じられる場所です。
江戸時代の貴重な建造物が、今に受け継がれています。
終わりの見えない魅力がある、歴史探訪に最適なスポットです。
江戸時代からある鳥取藩の米蔵。かつて米子城の三の丸にも同じものが幾つか建ってました。
橋津藩倉古御蔵 鳥取県東伯郡湯梨浜町橋津158土壁の立派な建物。
鳥取藩の年貢米貯蔵庫。現存する三棟の一つ。
江戸時代の歴史を語る貴重な建造物です。この近くにある蔵を含め、3箇所現存してるようです。
| 名前 |
橋津藩倉古御蔵 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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橋津の港は日本海海運の拠点として多くの舟が出入りし、舟番所や役宅が設けられ、御蔵から北方の浜屋敷にかけての往来には廻船問屋、米問屋、旅籠などが軒を並べにぎわっていた。古くからの港町ですが、江戸時代は北前船が寄港し、藩米(御手船、角輪船)の積み出し港となり、町には船番所や藩倉、商店や旅館が立ち並んでいたそうです。菊港は鳥取県中部の琴浦町(旧赤碕町)に位置し、すぐ背後に拡がる町並みは、かつて港を中心として栄えたものであることを物語る。菊港の名は、当地で大庄屋を勤める河本家に嫁いだ「菊姫」(松江藩主堀尾忠晴の伯父の娘)に因んだものと云われ、菊港とそれを挟むように位置する東港(亀碕港)、西港の3つの港が隣接し、それらすべてを含めて赤碕港と呼ぶ。現在は東港が本港となっているが、この地に船番所が置かれ、年貢米を移出するための藩倉が建ち並び、北前船の寄港地となっていた藩政期1600~1871年この地方が鳥取藩所領となっていた時代)は、菊港が本港として機能していた。倉吉の産物や原料・日用品等の移出入にも利用されるなど、商港としても発展し、後に鳥取藩十湊(じゅうみなと)の1つとなる重要な港であったと記載されています。 そのうち現存するのが古御蔵、三十間北蔵、片山蔵の3棟であり、県内唯一の藩倉遺構である。鳥取藩最大の藩倉として利用されていた建築物。橋津港は鳥取藩の海運の拠点として利用され、以前は廻船問屋、米問屋、旅籠などに加え多くの藩倉が軒を並べていたが、土地転用、解体などを経て、現在は古御蔵、三十間北蔵、片山蔵の3棟のみが残っている。 戦後は食糧庁指定の倉庫や、橋津梨組合の倉庫としても利用されていた。湯梨浜町の松岡恭正さんは古御蔵天保14年建造ですが、大正年間に移築されています。三十間御蔵は、棟札が失われているのではっきりしませんが、18世紀末から19世紀初頭の建造ではないかと推測されています。明治以降、いろんな目的に転用され続け、改造もされているようです。当初の位置から昭和26年に現在地に移築されています。古御蔵、三十間御蔵とも、鬼瓦には池田藩の楊羽蝶紋の瓦が使われています。また、三十間御蔵には棟に熨斗瓦ではなく来待石が使われているようです。片山蔵は江戸時代から場所は変わっていませんが、大正末から昭和初期に大きな改造が加えられたようです。このような状況ですので、移築や改造の折に屋根瓦も一部は新らしいものになっていると思われますと言われています。湯梨浜町の松岡恭正さまの瓦の問合せにより、橋津藩倉の瓦を調べますと古御蔵、三十間北蔵、片山蔵に石見の宅野瓦が確認できました。石見宅野のいぶし瓦は石見銀山を中心に江戸時代から使われ現在も残っている瓦です。廻船で運ばれた石見のいぶし瓦で、石見銀山のいぶし瓦はほとんど宅野瓦です。橋津藩倉には石見瓦だけでなく、鳥取県大山町所子の重要真建物保存地区に指定され、門脇家、美甘家などの建物があり、所子で多く使用されている大山の所子の瓦が多く使われて残っています。不明な瓦もありますが何処で造られたのかわかりませんでした。橋津の近くの長瀬観音堂には石見の大浦の大黒屋の棟札が残っています。大黒屋は廻船問屋でしたが、誰がどのように絡み橋津藩倉や観音堂などにからんだのか謎が解けたら面白いと思います。鬼瓦は長瀬観音堂の瓦です。橋津の西蓮寺に同じような瓦が残っています。大黒屋が運んだ瓦でしょうか。