長良坂の彼岸花、絶景の道。
長良坂の特徴
寺町丘陵の中でも、長良坂が特に目立つ存在です。
坂の途中で見られる彼岸花が美しく印象的です。
金沢市寺町台の東端からの眺望が楽しめます。
坂の途中の彼岸花が見事です。
金沢市寺町台の東端から犀川へと一直線に下る「長良坂(ながらざか)」。単なる坂道というにはもったいないほど、この場所には金沢らしい歴史と暮らしが詰まっている。寺町台はもともと金沢城の防備のために、三代藩主・前田利常が寺院を集中させたエリアだが、この長良坂はその寺町台から犀川の川辺まで、15メートルを超える高低差をまっすぐに結ぶ急坂だ。延長は約188メートル。地形的にも自然の崖線を切り開いたような坂で、犀川から吹き上げる川風が強いため、昔は「吹上の坂」とも呼ばれていたらしい。坂の名前の由来もまた興味深い。坂上にかつて存在した「長良町」という町名から取られたのだが、この長良町は、藩主の行列で長柄槍を担ぐ「長柄衆(ながえしゅう)」と呼ばれる足軽が住んでいた場所だった。長柄がいつしか「長良」と表記されるようになったためだと伝わっている。幕末の古地図を紐解けば、実際に坂上の周辺には武家屋敷があったことがわかる。この坂道の名ひとつに、江戸期の金沢の人々の暮らしが浮かび上がってくるようだ。また、江戸時代から戦後間もなくまで、この長良坂は寺町台の住民にとって欠かせない生活道だったという。特に犀川で洗濯をする人々が、重たい洗濯物を抱えてこの坂を行き来していた。川岸と台地を結ぶ坂道というだけでなく、生活と密着した道だったのだ。坂道途中には、「長生地蔵(ちょうせいじぞう)」と「開運地蔵(かいうんじぞう)」と呼ばれる地蔵尊が祀られていて、いまでも周囲の住民が提灯を奉納し、大切にされている。地域の人々の願いや祈りが長い年月をかけて積み重なり、それが地蔵を取り巻く提灯の明かりとして静かに灯り続けている。坂自体はかなり急勾配で、いまでも途中に階段が整備されているが、かつては荷車や駕籠も通ったというから驚きだ。特に江戸時代には犀川に架かる橋は少なく、「上舟渡」という渡し舟が現在の下菊橋付近に設置されていた。この渡し舟から犀川を越えて台地へ向かう人々にとっては、長良坂はまさに重要なアクセスルートだった。坂を登りきると、そこには江戸時代の野田山墓所へとつながる「野田往還(旧野田道)」が走り、寺町の歴史的景観が色濃く残る。この寺町界隈には現在も52もの寺院が集中しており、土塀や石垣、伝統的な町家建築が保存された「寺町台伝統的建造物群保存地区」にも指定されている。その中心的な通りから長良坂へと足を踏み入れると、犀川へ下るにつれて次第に川風が強まり、古い石垣や土塀に囲まれた坂道を歩くだけで江戸時代の街道を歩いているような錯覚にさえ陥る。この長良坂はまた、不老坂・御参詣坂と並んで寺町台の「坂道御三家」と呼ばれ、特に藩政期には不老坂とともに野田山方面への参詣道としても機能していた。坂の近くには旅人や参詣者を案内する石造の道標が建てられており、その一つである「ガッパ地蔵」と呼ばれる道標は、もともと寺町台への参詣道を示すものであったという。現代では自動車の通行がほぼなくなり、歩行者専用に近い静かな坂道となっているが、その分、石垣や石段、周囲の寺院群の歴史的な景観が際立って感じられる。坂の下から見上げれば、寺町台の寺院群の甍や鬱蒼とした木立が一望でき、逆に坂の上から犀川を見下ろす眺めもまた格別だ。急坂を吹き抜ける川風、昔の人々が生活のために通った道筋、坂の名前に刻まれた武士の記憶、地域の信仰が刻まれた地蔵尊。このように、長良坂は坂道という単なる通路を超えて、金沢という町の地形、歴史、暮らしが有機的に絡み合った、まさに歴史そのものを歩いているような道だと言える。寺町台を訪れたら、この長良坂をただ通り過ぎるだけではなく、歴史の物語を感じながらゆっくりと歩いてみるのがおすすめだ。
寺町丘陵の坂のひとつです。寺町方面から下り途中左折の道歩くと桜坂へ抜けれます。そのまま下ると下菊橋に繋がります😊
旧長良町へ上る坂なのでこの名がついた。犀川のがけふちにあり川風が吹き上げて来るので吹上とも呼ばれていた。そうです。直線的な坂です。勾配はきつめです。
| 名前 |
長良坂 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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長良坂菊川から下菊橋を渡り正面にありました。ゆるやかな坂道で右側に階段と手すりが付いていました。この坂の由来は旧長良町に上がる坂道なので、その名前がついたようです。ゆるやかですが、直線なので長く感じました。