臼杵の八坂神社で桜独り占め!
八坂神社の特徴
自然が豊かで、夏には涼しさを感じられます。
歴史を感じることができる落ち着いた空間です。
本宮ではないものの、訪れる価値のある場所です。
臼杵城の桜が有名で、すごく人が多いですが、こちら八坂神社の桜は独り占めできました。正面からは見えにくい本殿の横も駐車場からはよく見ることができます。
県道21を臼杵公園からJR線に向かい線路前を左折し高校の方に進みJR線を渡るとその先神社は鎮座している。鳥居の扁額には八坂神社御旅所と記されている。御旅所と思えないしっかりした造りの御旅所である。本殿と見間違いそうな造りである。下りは大分の柞原神社は一週間、佐伯の海崎の八幡宮も一週間だったと思い出す。御仮屋への下りは一週間と決まっているのだろうか。
2024年7/19 臼杵祇園まつりに行ってみました。八坂神社の御祭神が7日間だけ海添地区にある御旅所おたびしょに滞在します。その間の奉納神楽、柴引きを見学しました。
周辺に人影無く、静かに散策。
自然が多く、夏は涼しく良いところですよ。
歴史はありますが、本宮ではありません❗
| 名前 |
八坂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
海添八坂神社は、JR臼杵駅の南800mほどの大分県臼杵市海添に鎮座している神社です。かつては、奥州磐前(現 福島県いわき市)鶴ヶ峰に祀られていましたが、源義家(みなもとのよしいえ)の清原氏討伐(後三年の役)の戦乱を避けるため、船により安芸国尾道を経て臼杵庄洲崎岩ケ鼻に着岸し、神ノ木原に鎮座しました。臼杵領の総鎮守として広く尊崇されていましたが、戦国大名の大友宗麟がキリスト教に帰依して領内の社寺焼討を行ったとき、その難を避け、御神体を田町の見星寺(けんしょうじ)裏の岩窟、海添の岩窟(現在の御旅所であり海添八坂神社)、津久見の八戸(やと)、後には日向の飫肥(おび)に遷座しました。大友氏改易の後、臼杵城主の太田一吉(おおたかずよし)の命により、丹生嶋城(臼杵城)三ノ丸の廓内に社殿を遷座しました。毎年7月中旬の『臼杵祇園まつり(大分県指定無形民俗文化財)』では御旅所になります。大分県内三大祇園の一つに数えられる夏祭りで、江戸時代の寛永20年(1643年)豊後臼杵藩4代藩主の稲葉信通が御神幸を行ったことが始まりとされています。祭りは約1週間にわたり、期間中は八坂神社から御旅所の間を神輿や山車が練り歩きます。最大の見どころは、前半の「渡御(おわたり)」と、後半の「還御(おかえり)」です。行列の先頭を切る臼杵独特の「御槍振り(おやりふり)」の凛とした神事や、2基の美しい山車が奏でるお囃子(はやし)の違い、そして街中を山車が威勢よく疾走する姿が観客を魅了します。海添(かいぞえ)という地名は、豊後臼杵藩の北海部郡(きたあまべぐん)海添町に由来します。明治22年(1889年)海添村・臼杵町・仁王座村・福良村が合併して、改めて臼杵町が発足しました。明治40年(1907年)臼杵町・下南津留村・市浜村・上浦村が合併し、改めて臼杵町が発足しました。昭和25年(1950年)臼杵町・海辺村が合併して、市制施行し臼杵市が発足しました。昭和29年(1954年)佐志生村・下ノ江村・上北津留村・下北津留村・南津留村を臼杵市が編入合併しました。平成17年(2005年)大野郡 野津町と新設合併し、新市制による臼杵市が発足しました。八坂神社(やさかじんじゃ)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする神社で、京都の八坂神社を総本社として全国に約2300社が存在します。厄除けや疫病退散のご利益で知られ、夏の風物詩である「祇園祭」の信仰とともに日本全国へ広がりました。全国の八坂神社は、京都の「八坂神社」を総本社とし、素戔嗚尊(すさのおのみこと)やその御子神・妃神を祀る神社の総称です。平安時代初期、京都で疫病が流行した際にこれを鎮めるために祀られたのが始まりとされています。そのため、疫病退散や厄除けの強力なご利益があるとされ、庶民の厚い信仰を集めてきました。全国各地で夏に行われる「祇園祭」は、この疫病退散を祈願する祭礼が発展したものです。