百合若大臣 様子を感じて。
大臣塚古墳(百合若大臣の墓)の特徴
家族連れに最適な、ゆっくりできる場所であることが堪能できる。
四世紀中頃から後半に築造された前方後円墳の歴史を感じられる場所。
百合若大臣に関する学びを深めるための貴重な説明事項が豊富にある。
大分市元町にある古墳。大分元町石仏のすぐ近くにある古墳で木に覆われていて分かりにくいですが前方後円墳です。古墳時代に造られた物で江戸時代初期の府内藩主日根野吉明が発掘調査をした記録が残っています。石棺から人骨や甲冑などが見つかりその後埋め戻したと記録に残されています。埋葬者は不明ですが伝説では百合若大臣の墓と言われています。百合若大臣は蒙古襲来の際の討伐軍の大将で部下に裏切られ孤島に置き去りにされるも帰郷して裏切り者の部下を成敗したという昔話の主人公で大分には百合若大臣の伝説が多く残されています。
開墾碑から坂を登ったらすぐの所に看板がある。丘状の所を登っていくので古墳なんだろうがはっきりしない。草の奥からは宗麟大橋方面の景色が見える。標識の矢印の通り県立芸術短大を右手に見て進むと、上原館跡がある。
「大分市:大臣塚古墳(百合若大臣の墓)」2012年5月に訪問しましたが、草木が生い茂って全体像はさっぱりわかりませんでした。上空からなら少しは分かるのかも。
6月9日昼ごろ訪問した。典型的な前方後円墳とのことだが、草木が茂ってしまい、よく見えない。夏には長袖長ズボンの方が良い。大分市には観光資源になる場所なので環境整備にお金を遣ってほしいものだ。古墳を過ぎて大友家屋敷跡へ向かうも道路工事中。芸文短大にで引き返した。
家族連れなどで、ゆっくりできる場所。
四世紀中頃から後半にかけて築造された前方後円墳である。残念ながら前方部は殆ど言っていいほど削平されており一見大きな円墳かと見間違うほどである。若干全長50mもので主体部は確認されていない。
前方部分しかなくて残念。
「百合若大臣」とは何かの説明から入ると長くなる。明治時代には、ホメロスの詠った「ユリシーズ」と関係がある、という説を唱える人(坪内逍遥だが)まで出た、日本の伝説の主人公である。非常に波乱万丈でファンタジーな要素もあり面白いので、平凡社の東洋文庫にある『幸若舞』第1巻など、興味があれば読んでみてください。
わかりにくい場所にあり、土の坂道を登らなければいけません。
| 名前 |
大臣塚古墳(百合若大臣の墓) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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2026.5.28に来訪。大分市元町にある史跡です。元町石仏から北へ約300mほどで、県立芸術文化短期大学の東側に位置します。JR大分駅からは車で約15分。元町バス停からは徒歩約5分。住宅地の中にあり、入口はやや分かりにくいので、Googleマップを確認しながら向かうのがおすすめです。専用の駐車場はありません。公式観光案内では、近くの元町石仏の駐車場から徒歩で向かう案内になっているようなので、合わせての来訪がおススメです。5世紀頃、古墳時代中期に造られたと考えられる前方後円墳で、全長は約50m。現在は前方部の多くが失われていますが、直径約35m、高さ約13mの後円部が残っています。「大臣塚」という名は、豊後に伝わる英雄・百合若大臣の墓だという伝説に由来します。ただし、実際の被葬者が百合若大臣と確認されているわけではなく、伝承として受け継がれてきたものです。1636年には府内藩主による復旧が行われ、その際に石棺から人骨や刀、甲冑などが見つかったと伝えられています。最大の見所は、市街地のすぐ近くにありながら古墳の後円部が今もはっきり残っていることです。木々に覆われた墳丘へ上がると、頂部には百合若大臣伝説や古墳の保存に関わる石碑があり、江戸時代からこの場所が大切にされてきた歴史を感じられます。