南北朝時代の山城探訪。
千頭峯城跡の特徴
南北朝期に築かれた千頭峯城跡は、井伊氏の一族が関与した場所です。
急坂を登ると見られる絶景は、まるで最高の癒しの時間を提供してくれます。
駐車場完備で遺構も良く残り、歴史を感じながら城塞群を楽しめるスポットです。
南北朝時代、後醍醐天皇の皇子宗良親王が南朝の征東将軍として吉野から伊勢を経由し、陸奥へ渡ろうとしたが途中で座礁し、遠江に漂着(現在の浜松市白羽町付近に碑がある)。その後、井伊氏に身を寄せていたが、本拠は井伊谷城。その西の防衛拠点であったのが千頭峯城であり、南北朝時代の典型的鶴翼型山城であった。オレンジロードのトンネル入口手前にある駐車場に車を停め、そこからは徒歩。草等も刈られ山道もよく整備されている。
2023/10/8南北朝期に築かれたと云われる。三岳城の西の支城。1339年、北朝方の高師兼により落城。その後の動向は定かでないが、現在の遺構は戦国期の今川氏か徳川氏によるものと推測される。南側に案内板、駐車場があり、道もあり登りやすい🚶
2018/8/8南北朝時代に井伊氏の一族が築いた城らしい。確かに城としての遺構が遺っているが、あまり荒々しさを感じないことから、戦国時代にはあまり機能していなかったのかもしれない。
歩道がある程度整備されていて、城跡の目印もよくわかりました。城のあった頃を思い浮かべながら歩くと、面白いです。新緑の頃とか、気持ちよさそうです。夏場は虫とかたくさんいるだろうなと思います。歩道は、気が倒れていたり、シダが茂って見えにくくなっているところがあります。上の方に見晴らしの良い場所はありません。
中性の山城の跡。案内板や遊歩道が整備されていて、散策しやすくなっています。
旧三ヶ日町の山中にある南北朝時代の山城です。旧引佐町にある三岳城の支城であったといわれています。後醍醐天皇の皇子である宗良親王を奉じた南朝の軍がこの城に立て籠もり、北朝の軍勢と戦いました。北朝の攻め手の大将は、足利尊氏の側近高師直の従兄弟といわれる高師兼。南朝方には、土着勢力の井伊氏が加勢しました。千頭峯城は、訪れれば分かる通り天険の要害であり、容易に攻め落とせる城ではありませんでしたが、大軍をもって攻め寄せた北朝軍の前にはなす術なく、落城してしまいます。この戦いで北朝方につき武功を示した浜名清政という武将が、やがて三ヶ日一円を支配する有力豪族として地位を高めていくことになります。
頂上までは結構急坂です、帰りに車中で豆を挽いてCoffeeを淹れ景色を眺めながら味わう、最高の時間!
思ったよりも本格的な山城です。真夏に行ったのが、ちょっと失敗。写真よりも草がうっそうとしていて、クモの巣だらけ。キツかったです。
駐車場も完備された遺構もばっちり残っている良いお城です。駐車場に見取り図があるのでそれも参考に歩くといいです。薮になっていて入れない所もありますがこれだけ残っている山城は嬉しいものです。
| 名前 |
千頭峯城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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千頭峯城読み方・せんとうがみねじょう指定・県史跡遺構・曲輪、土塁、堀切 など主要城主・奥山氏備考・10月の初めに登城したのですが主郭についてズボンを見るとマダニが大量についてました……。ネットではこの城での確認は無いようで、登城路もしっかりしているのでタカをくくって特になんの対策もなく登城。しかし、主郭で純白のズボンを見ると茶色い何かが…。そう、マダニです。噛まれないように丁寧に取り除き、行く予定だった曲輪をすっとばして駐車場に。そして服の隅々まで確認し帰宅。災難な旅でした。城郭自体は遺構の保存状態もよく、登城路がしっかりしていてめぐりやすかったです。城郭としては満点ですが山としては- ̗̀ ㍘ ̖́-。しっかりマダニ対策をしてマダニの活動が少ない夏か、冬に行くことをオススメします。