住宅街の隠れ聖地、祀りの場。
津田周防守正信碑の特徴
住宅街の端っこに位置し、隠れた名所として魅力を放っています。
祀られた津田周防守正信碑が静かな佇まいで訪れる人を迎えます。
周辺の雰囲気と相まって、独特の歴史を感じられるスポットです。
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墓の無い人生は儚い。
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| 名前 |
津田周防守正信碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
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住宅街の端っこに取り残されたような感じで祀っています。現地碑文より津田周防守正信について津田周防守正信は、津田氏の初代城主で、戦国時代は、ここより東に位置する国見山に居城を構え、活躍した人物である。しかし文亀三年(1503)87歳でこの地に没し、津田城の搦め手なるいばら谷を下った谷間の芝生(しばお)に墓をつくり葬られた。以後、墓は、馬場谷に移され、更にここ古城(ふるじょう)の地に移しまつられ、幾星霜を経て今日に至る。以来、津田氏は、備後守正忠(二代目)、周防守正明(三代目)、主水頭守正時(四代目)と続き、津田の地を統括したが、天正三年(1575)織田信長の軍勢により平定され、津田氏は勢力を失うこととなった。