暗越奈良街道の歴史を歩こう。
暗越奈良街道 石碑の特徴
大坂と奈良を結ぶ歴史的な旧街道の石碑が魅力です。
4~500年前に開けた街道としての貴重な文化遺産です。
暗越奈良街道沿いに、様々な石碑がそびえ立っています。
暗越奈良街道は大阪から奈良へ通じる旧街道として、4~500年前に開けた街道です。江戸時代中頃から、全国的にお伊勢参りが盛んとなり、これら多くの旅人で賑わったことが記録に残っています。アスマイルID65【大阪市】暗越奈良街道コース暗越奈良街道にある4か所のスポットを歩くコースです。
暗越奈良街道の石碑。この東側にも説明看板が3枚設置されています。
大阪から奈良へ通じる旧街道として開けた街道。大阪高麗橋を起点として西から東へと通じ、暗越と呼ばれるように、生駒山系の暗峠を越えて奈良に行く最短コースの街道だったことが名称の由来。この奈良街道が開けていないその昔は、大阪から奈良へは日本最古の国道である竹内街道が唯一のもので、奈良街道よりはるかに長いコースだったそう。高井田菱江ーーー高井田長栄寺の鎮守、鴨高田神社は「八幡」と呼ばれた延喜式内社でこの地の産土神である。久しく廃絶していたが、寛延年間、葛城慈雲和上により再興された。菱江の仲村神社も延喜式に記されたこの産土神で、「疱瘡を病むもの祷れば霊応あり」と、遠くより参詣に訪れる人が絶えなかった。暗越奈良街道に沿って立地するこれらの延喜式内社の存在は、奈良時代、この道が難波京と平城京を結ぶ道筋であったと傍証する。立ちわかれ いなばの里に ながゐしてさやは契りし 待ちぞ佗ぬる 光俊。
Historic place
歴史的な場所(原文)Historic place
TVの番組ではないけれど、昔の人は偉かった。 高麗橋から奈良まで、何時間かかることやら。
暗越奈良街道の石碑は、この付近一帯のあちこちに建っています。東成消防署の北側にもありますし、今里西之口公園の東側にもあります。街道なのですから当たり前でしょうが...。街道の説明がきちんとされている石碑があるのは、東成区大今里西1丁目5です。
暗越奈良街道は、高麗橋里程元標→玉造二軒茶屋→松原宿→暗峠→奈良猿沢の池里程元標までだ。古代から現代まで使用されている道。あるところはくねくね曲がる小道だが、あるところは国道308号線と重複している。街道沿いには石碑や道標があちこちに見られる。今でも、暗越奈良街道が生きている、それだけで凄いことだ。
何処から何処まで?
| 名前 |
暗越奈良街道 石碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
06-6977-9683 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.osaka.lg.jp/higashinari/page/0000000318.html |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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