戦国の物語、千姫の墓で体感。
千姫墓の特徴
千姫墓は徳川秀忠の長女の歴史を感じる場所です。
豊臣秀頼の正室としての物語が詰まった墓地です。
3姫のお練りが行われる特別なイベントがあります。
7歳で豊臣秀頼に正室として嫁して、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡し18歳で豊臣秀頼とは死別。また、豊臣家滅亡後、秀頼と側室との娘が処刑されそうになった際に自ら必死の助命嘆願を行う等、その歳でこんな不運をよく乗り越えてと感じます。お墓は、千姫にとっては曾祖母・於大の方の菩提寺である小石川傳通院にあります。また、於大の方も、実家の都合で徳川家康公の父である松平広忠と離縁させられたり、また、その実家や再婚先が滅ぼされてしまったりと苦難の人生を過ごした方なので、傳通院に千姫のお墓があるのも納得でしょうか。。。
家康の孫娘であり、大阪の陣で豊臣軍に捕虜になるも、命からがら脱出した千姫の墓。
千姫は徳川秀忠と江の間に長女として生まれ、豊臣秀頼の正室となりまし たが、大坂の陣で救出された後には、本多忠刻の正室となりました。晩年は、 天樹院と称して江戸で暮らし、寛文6年(1666年)、70歳で死去しました。
3姫のお練りがありました。
徳川の千姫のお墓。
| 名前 |
千姫墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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傳通院の千姫墓に立つと、「戦国・豊臣・徳川」という巨大な物語が、いきなり一人の人生のサイズに縮む体験ができます。千姫(1597–1666)は徳川家康の孫で、父は二代将軍・秀忠、母はお江(崇源院)。幼くして豊臣秀頼に嫁ぎ、大坂城落城(1615)で人生の前提がひっくり返る。ここまでは教科書の一行だが、墓前に立つと“政治の駒”として生きた時間の重さが先に来る。その後、姫路藩主・本多忠刻と再婚し、再び喪に服し、晩年は出家して「天樹院(てんじゅいん)」と号したとされる。つまり千姫は、天下の転換点を二回またいだ人間だ。墓域がきれいに保たれているおかげで、落ち着いて手を合わせられた。ここを維持してくださる皆さんに、「ありがとうございます」と言いたくなります。