沖田畷の戦い跡、歴史感じる願行寺。
願行寺の特徴
龍造寺隆信の首塚がある歴史深い場所です。
島原の沖田畷の戦いを感じることができます。
豊臣秀吉が宿陣した名所としても知られています。
願行寺一遍上人を宗祖とする時宗のお寺です。 貞和5年(1349) 遊行五世他阿其阿弥陀上人の開山によるものです。 寺は代々菊池・小代・大友・細川氏の保護を受け、天正 年間には、玉名郡7ヶ村内に千石余の寺領を有したほど です。御堂には本尊の阿弥陀三尊のほかに、鎌倉末期の時宗高僧の倚像が安置されています。 また、天正15年(1587)、 九州平定の際、当寺を宿陣とした豊臣秀吉が寺への謝礼として残したとされる陣太鼓も所蔵されています。境内には、天正12年(1584)、島津・ 有馬の連合軍と戦って敗死した肥前の戦国大名龍造寺隆信の首塚と伝えら れる石塔のほか、高瀬町別当をつとめた荒木家の五輪塔、 高瀬町教導師黒田紫山の祠堂・堂記碑などがあります。平成18年3月玉名町校区まちづくり委員会。
龍造寺隆信の首塚があります。沖田畷の戦いで討ち取られた隆信の首はこの地で重くなり動かなくなりました。島津領に入りたくなかったと言われています。遺棄された首は、この寺に埋葬されました。それがこの首塚です。駐車場は無さそうでした。
沖田畷の戦いで島津軍に討ち取られた龍造寺隆信の首級は首実検のされたあと、島津軍は鍋島直茂に隆信の首級を届けようとしましたが、直茂は受け取りを拒否したため、八代まで持ち帰える途中、この地で急に首級が重くなくなってしまった。そのため、願行寺に埋葬されたと伝わっています。なお、龍造寺領と島津領の国境が近くの高瀬川であったので、島津領に入るのを嫌がったのだろうと言われており、後に佐賀の高伝寺に移葬されたました。また、豊臣秀吉の九州平定の秀吉の宿営地であったことでも知られています。ちなみに駐車場は無かったよ。
いい場所です!
九州平定時、豊臣秀吉が宿陣したお寺だそうです。
島原の沖田畷で討ち取られた竜造寺隆信の首塚はここにある。
| 名前 |
願行寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0968-73-4326 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:00~19:00 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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地元で大切にされている神社。豊臣秀吉ゆかりの陣太鼓が所蔵されている。