平行盛を祀る神秘の社殿。
平行盛神社の特徴
急峻な尾根の先端にある、平行盛神社は魅力的です。
平家落人伝説が残る歴史的な神社で、地域のお祭りが重要です。
管理の行き届いた境内は広めで、コンクリ製の社殿が目を引きます。
神社の裏手に行盛公のお墓もありました。長い年月、ずっと島の皆さんが守ってこられたお墓です。島の方々に愛される人格者だったのだと思います。京都の文化を島に伝え、人々の暮らしを豊かにされたのでしょうね。神社もよく手入れされていました。神殿・拝殿の前でお祭りが行われていた広場もありました。
平行盛神社たいら の ゆきもりじんじゃ鹿児島県大島郡龍郷町戸口祭神平行盛1185年壇ノ浦で全滅したはずの平家一等が落ち延びたとの伝承は各地にあります平資盛、平有盛や彼らの配下と共に喜界島へ辿り着いたと伝わるその後行盛は奄美大島の龍郷町戸口に居を構えたとされますなお龍郷町は西郷隆盛の配流地です2023年7月10日 参詣。
行盛神社〒894-0107 鹿児島県大島郡龍郷町戸口平家の落人平行盛(ゆきもり)を祀ったた神社だそうです。GoogleMapでみるとすぐそばに「平行盛神社」という表記もありますが、龍郷町の案内板から、「行盛神社」の方に口コミさせていただきます。訪問日2023年11月27日には、詳しく確認しませんでしたが、行盛神社の境内にある碑は、文政十一年建立とあるそうですから、平家一族が滅亡してからかなり年月を経た後建てられていることになります。ちなみに、奄美風土記(栄喜久元著)という書籍では、「平家の里」と題して『寿永四年(1185)壇之蒲で敗れた平家の残党、重盛の二男平資盛らは、安徳天皇を奉じて硫黄島の長浜に落ちのび、黒木御所を造営した。そのあと資盛は喜界島に渡る。そこにはからずも弟の有盛と、重盛の弟基盛の子で、従弟行盛の二人が資盛を尋ねて来島した。それから資盛は加計呂麻の諸鈍に、有盛は浦上に居城を構える。行盛は戸口にあって、笠利崎(蒲生左衛門)、竜郷崎(今井権太夫)に遠見番をおいて急を戸口に知らせ、有盛、資盛に連絡をとることになっていたという。それで城跡と両崎に神社が建っている。』とあります。今回の、奄美旅行で興味をもった話なので、もっとよく調べてみたいところです。●行盛神社1185年、壇の浦の戦に敗れた平家の一族は南島に落ちのびたと言われている。そのうち、資盛、有盛、行盛の三大将は大島を攻め征服した。そして、資盛は諸鈍に、有盛は浦上に、行盛は戸口に城を築き、それぞれ敵の襲来を警戒したと伝えられている。その行盛公は、地域の方々に農業(特に稲作の普及)と漁獲方法を教え、そして学問は特に倫理と道徳を教えた方として尊敬されここに祭られている。龍郷町。
急峻な尾根の先端に位置しています。
偶然見つけた神社でしたが、拝ませていただきました(笑)
地元の人たちは、大切にお祭りしていると、感じました。しかし、規模が小さめと感じたためです。
平行盛を祀ってあります。以前は、お神輿、六月灯、初詣など賑わっておりました。戸口集落を守ってくださる神様です✨
平行盛を祀る神社です。綺麗に管理されているのが好感を持てました。御神木の大きな蘇鉄がありました。
階段がキツいですが管理はされているみたいできれいでした。駐車場がないのが難点です。
| 名前 |
平行盛神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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かつて、壇ノ浦の合戦で敗れて奄美大島に逃れてきた平資盛、有盛、行盛の3大将のうち、平行盛を祀っている神社です。地域の人たちに農業(稲作普及)や漁獲方法を教えるなどして尊敬されていたそうです。