真田幸村最後の地へ!
伝・真田幸村の墓の特徴
大河ドラマ真田丸で話題の史跡です。
妙に心惹かれる歌が伝える歴史を感じられます。
有志による整備で訪れやすくなっています。
歴史好きな方なら訪れるべき、真田幸村最後の地。掃除の行き届いた神社の中にあり、大坂夏の陣の舞台の一つ茶臼山から徒歩圏内。
全国各地に数ある真田幸村のお墓の中でも、最南端に位置するお墓。(コラ。
真田戦記伝・真田信繁の墓鹿児島県南九州市頴娃町牧之内信繁の薩摩落ち伝説は京童たちが歌った「花の様なる秀頼様を、鬼のやうなる真田がつれて、退きものいたよ加護島へ」との歌で有名になったといわれてます。伝説の地は、同市頴娃(えい)町の雪丸集落です。鹿児島で雪がつく地名は珍しく、幸村がなまったと伝わります。 墓には丸い小石がたくさん供えられています。これは幸村の子を身ごもった女性を徳川の追っ手から守るため同町の大川地区に嫁がせ、その子孫が墓参りの際に小石をさい銭代わりに置いたとされます。その女性が産んだ男の子は、真田の2文字の間に江という字を挟んだ「真江田」の姓を名乗ったそうです。真江田家の墓には真田の家紋「六文銭」が刻まれているそうです。
子供の頃から行きたかった場所でした。とてもお手入れがされている感じがありました。真田信繁が大阪から秀頼と薩摩に渡ったという伝説がありますが、現地での逸話や名乗った名前などもしっかり残ってるんですよね。本当に幸村がいた線は薄そうに思いますが、煙の無い所には‥と思うと、実は大助だったり、はたまた顔など分からぬ時代ですから、幸村の成りすましなどがいたのかもしれません。誰かはいたのでしょうね。お墓のある所はとても静かで居心地が良く、少しのんびりしてお掃除などして帰りました。また行きたい場所です。
花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり加護島へ…このように歌われてるってことは真実なんじゃ?って思います。私も一度足を運びお参りしてきました。
大河ドラマで真田丸が放映されたあとに話題になった場所なのではないでしょうか。私有地にも関わらず、駐車場まで用意してくださっているのに感謝てす🙏駐車場から約500mですね。ナビにこの場所を入力してもたどり着けません。伝・真田幸村の墓 駐車場で検索した場所に車を停めてそこからお登りください。
花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり加護島へ。という伝説があるらしい。大坂夏の陣のあと、真田幸村が秀頼公を連れて鹿児島へ落ち延びたという伝説を前提に、真田幸村はここで永眠したというお墓ですね。ロマンを感じます。地域の方がとても大事にされている感じが伝わりました。2016年当時は途中の道が工事中で通れないところもありましたが、参道の直前に駐車場も整備されていて、参道は所々に「あと○○」と幸村キャラが励ましてくれました。解説でも書いてありましたが、こんな山奥に分け入った人目を避けるかのようなところにこんなに立派なお墓があるのはただならないものをやはり感じましたよ。石垣島みたいに、手作りなお土産の無人販売とかあれば利用者しちゃうな~と思いました。
有志の方々のお陰で色々整備されています!
| 名前 |
伝・真田幸村の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
舗装されていない山道を往復三十分かかります。子供や高齢の方はお勧めしませんが、山深いところでお祀りされてた小さな祠は神秘的でした。大阪市民を代表して大阪夏の陣のあと、秀頼様をお守りして鹿児島まで落ち延び、この地で没した幸村様に感謝を捧げてきました。