まむし封じの砂、歴史深き神社。
大穴持(おおなむぢ)神社の特徴
大穴持神社は、まむし除けの砂が名物で知られている神社です。
国道10号線沿いに位置し、朱色の鳥居と本殿が美しい景観を提供しています。
創建は宝亀9年(778年)とされ、式内社として歴史的な背景があります。
10号線沿いにある神社さん⛩️気持ちの良い境内✨参拝後宮司さん宅で御朱印を拝受させてもらいました。ありがとうございました。
そこそこ近くの神社です。お正月に、行くと焚き火とか、オミクジとかしてました。そこそこ人は、来てるけど、すいてるので近くに住んでたら初詣に、良いと思いました。
20数年前、この近くに住んでいて、ずっと存在を知りながら、神社参拝に興味がありませんでした。歳を重ね、初めてこの神社に参拝し、当時の思い出がよみがえってきました。ゆっくり参拝しました。苦しい経験があったからこそ、今があるのだと痛感させられました。素晴らしい神社でした。
駐車場あり、小さいですがとて綺麗な神社です。戦死者慰霊碑もあります。
国道を走っていたら目に止まった大穴持って字に引き寄せられて参拝させてもらいました。マムシ除けとは農作業で年に数回マムシと会う身としては有難い効果。
広瀬地区の氏神様でオナンジサァと呼ばれています。御祭神の伝説からマムシ除けのご利益があるとされ、マムシを祓う御札や砂を頂けます。境内には日清、日露戦争縁の記念碑や招魂碑、桜島の噴火に関する石碑、近くの小村新田開拓の記念碑もあり、歴史を学ぶ事も出来ます。『大穴持の火』という、不思議な言い伝えも伝わります。
鹿児島市に向っていた所、小村寿太郎?と思ったら小林小学校の石碑堤防完成碑と延喜式の可也古い由来のある神社ですが地元の人達には洪水防止の堤防の方が大切な歴史。
初めて参拝させていただきました。神主さんが不在でしたので、参拝した後に祭壇の入り口でお札をいただきました。さい銭箱にお金を入れる仕組みでした。今度、参拝させていただく時に神主さんから御朱印をいただきたいと思います。6月22日追記再度参拝させていただきました。宮司さんがおり、御朱印と御守りいただきました。
蝮(まむし)の神様です。
| 名前 |
大穴持(おおなむぢ)神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0995-46-0254 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.kagojinjacho.or.jp/shrine-search/area-airaisa/%E9%9C%A7%E5%B3%B6%E5%B8%82/453/ |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
〒899-4321 鹿児島県霧島市国分広瀬3丁目17−1089 |
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大穴持神社(おおなもちじんじゃ)。鹿児島県霧島市国分広瀬。式内社(小)、旧県社。【祭神】大己貴命 (配祀)少彦名命 大歳神 (合祀)霧嶋大神資料によると、創建年月は不詳。『国分諸古記』によると、大己貴命は昔奥州津軽山に鎮座していたが、西国に守護神が少ないため、勅命により西国の鎮守として下向したという。奈良時代のこととされる。常陸国の橘氏、宮永氏四兄弟、岩元氏の一族など一行25人で神輿の前後を守護し、奥州水の渡、津軽山より負い下って、日向の串島に到着。その後、福山まで来たが、よい舟がなく、敷根まで道を作ってやってきた。敷根から舟で大隅国福瀬の渡に着船、福島村に仮屋を建てた。その後、今の広瀬にあたる小村に本宮を創建した。当地での方言による通称は「おなんじさあ」。一方で、天平宝字8年(764年)12月、大隅・薩摩両国の堺に神造新島三島が出現した。今の隼人町邊田小島・沖小島・辮天島である。当初、神造新島のうちの宮州というところに当社の神は鎮座したが、その後島くずれが起こり、その地が海中に没したため、現在地に移ったともいう。大己貴命が農道を歩いている時、犢牛(コッテ牛、雄牛のこと)が突進してきたので、麻畑に逃れたところ、その麻畑にいた蝮に咬みつかれたという。このため、当社の神は犢牛と麻と蝮を嫌い、当地では犢牛を飼ったり、麻を植えたりすると家が栄えないといわれた。昔からこの集落には馬は多数飼われていたが、牛を飼う人はほとんどいなかったといわれる。また、この集落を中心に、天降川と検校川の間には蝮が生息しないとも伝わる。幕末の弘化3年(1864年)に造営の記録がある。明治4年(1871年)5月に県社に列した。現在は、少彦名命・大歳命を配祀している。境内社に日神社・月神社・稲荷神社・大田神社・大王神社がある。とあります。