特攻隊員を祀る神社、平和を願う。
知覧町護国神社の特徴
知覧平和記念公園内に位置する神社で、訪れる価値があります。
特攻隊員を祀る神社で、平和の大切さを教えてくれます。
灯籠の数が多く、深い悲しみを感じる空間です。
知覧町護国神社は、知覧特攻平和会館の近くにあり、戦没者の御霊を慰霊するために建立された神社です。境内は静かで清らかな空気に包まれており、訪れると自然と頭が下がるような厳かな雰囲気があります。特に特攻隊員を祀っていることから、会館の展示を見たあとにここを訪れると、より一層その思いが胸に迫ります。境内には慰霊碑や記念碑も建てられており、若くして命を捧げた人々への感謝と祈りを捧げることができます。小さな神社ですが、心を落ち着けて手を合わせる時間は非常に大切に感じられました。観光地として訪れるというよりも、平和を願い、命の尊さを思い返すための場所としておすすめです。知覧を訪れる際は、ぜひ会館と合わせて参拝していただきたい神社です。
日本が植民地にならずに、現在の平和な日本で暮らせるのは、命がけで戦って下さった方たちのおかげです。日本人はそれを絶対忘れてはいけないと、感謝の祈りを捧げました。
太平洋戦争中は日本全国に航空隊基地がありました。特に南九州地区には、フィリピン・沖縄方面から北上する連合国軍を迎え撃つため特に多くの飛行場が作られました。その一つが旧陸軍の知覧基地です。陸軍では1,417名が航空機による特攻で亡くなりましたが、この知覧基地からは439人が出撃され亡くなっています。ところで現在は護国神社として知られていますが、古くは招魂社という名称の神社でした。その道府県の出身者や縁故の戦死者を主祭神とする神社で、1864年に最初のものが下関市に作られました。知覧のこの神社は戊辰戦争の戦没者を祀るために1869年に建立され、その後西南戦争から太平洋戦争までの戦没者を合祀し現在に至ります。実は知覧は屋久島の縄文杉に行った「ついで」だったのです。しかし行ってみてその重さに圧倒されました。1時間くらいで早々に引き上げるつもりだったのですが、4時間近くも居てしまったのです。展示物もさる事ながら、特に風化した石灯籠群が圧巻でした。それに刻まれたお名前を見ていると「君死にたまふことなかれ」そんな言葉が浮かんでくるのです…………一度はお越しください、特にTPJの皆様は是非………….。きっと平和の有難さが身に沁みます。2025.3.30
御英霊に感謝の誠を捧げます!
知覧平和記念公園内にある神社。
灯籠の数の多さに悲しみを感じます。
400 out of the 1000 kamikaze pilots left from Chiran, and this shrine, which is next to the peace museum, is dedicated to their memory as well as enshrining others who lost their lives in various civil wars in Japanese history. The shrine is simple, yet solemn. No goshuin for this one.知覧からは1000人の特攻隊員のうち400人が出発した。平和記念館の隣にあるこの神社は、彼らを偲ぶとともに、日本の歴史におけるさまざまな内戦で命を落とした人々を祀ってる。神社はシンプルだけど厳粛。この神社には御朱印がない。
平和記念館の隣にあります。特攻で亡くなられた方たちの他、西南戦争でなるなられた方々も祀られています。
知覧町護国神社です。
| 名前 |
知覧町護国神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0993-83-2511 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 9:00~17:00 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡2863−2 内 特攻平和観音堂 |
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由来には以下のことが書かれていました。知覧町護国神社の由来知覧町護国神社は、幕未期から先の大戦までに尊い生命を祖国の為に捧げられた本町出身者の御英霊 1012柱をお祀りしています。明治2年(1869年)5月、西福寺境内(現:島津墓地)に成長の役においで戦功の大きかった知覧町の戦死者の招魂墓を建立したのが始まりです。このような趣旨に基づいて建立された知覧町護国神社は『護国の神、平和繁栄の神』として、町民の多くの方々に親しまれ崇敬されています。種々の経緯を経て昭和34年(1959年)11月に現在地に移されました。知覧町護国神社奉賛会。