永井隆の愛を感じる、静かな長崎。
長崎市永井隆記念館の特徴
流行歌長崎の鐘が流れる、厳かな雰囲気の展示スペースです。
永井隆博士が住んでいた如己堂が併設された記念館です。
平和の大切さを学べる、心に残る体験ができます。
放射線医学者で、結核治療に力を入れていた永井博士は、戦時中のレントゲンフィルム不足により多量の放射線を浴びながら患者を診察し続けました。それが原因で1945年6月白血病と診断され、余命3年の宣告を受けたのです。同年8月、爆心地からわずか700mの長崎医科大学の診察室で博士は被爆。重傷を負いながらも原爆被災者の救護活動に当たり、その後も白血病と闘いながら原爆症の研究と発表を続けました。
永井隆医師は、長崎の原爆で自身も被爆し、重傷を負いながらも、被爆者の救護に尽力しました。第11救護隊長として、被爆者の診療にあたり、その経験を基に報告書をまとめました。また、白血病を患いながらも、平和を訴え、著作活動を続けました。『長崎の鐘』と平和のメッセージ:は永井隆医師の代表作である『長崎の鐘』は、長崎の原爆被害を描いたもので、ベストセラーとなり、広く知られました。永井隆医師は、長崎の原爆で被爆し、その後も被爆者の救護に尽力し、平和を訴え続けました。その活動と著作は、広島の原爆ドームと共鳴し、原爆の悲惨さと平和の重要性を伝える上で、重要な役割を果たしています。日本人達及び自衛隊も再び第三次世界大戦をしない為に内閣総理大臣などが変わっても誰1人も他国に加担しない民主主義国家の願いや平和主義を全うしたい。松平Dr. Takashi Nagai was himself exposed to the atomic bomb in Nagasaki, and although he was seriously injured, he devoted himself to helping survivors. As the 11th relief team commander, I compiled a report based on my experience treating A-bomb survivors. Even though he suffered from leukemia, he continued to advocate for peace and write.``The Bell of Nagasaki'' and its message of peace: Dr. Takashi Nagai's masterpiece, ``The Bell of Nagasaki,'' depicts the damage caused by the atomic bombing of Nagasaki, and it became a best-seller and widely known. Dr. Takashi Nagai was exposed to the atomic bomb in Nagasaki and continued to advocate for peace afterward, working to provide relief to survivors. His activities and writings resonate with the Atomic Bomb Dome in Hiroshima and play an important role in conveying the tragedy of the atomic bomb and the importance of peace.The Japanese people and the Self-Defense Forces also want to fulfill their wishes for a democratic nation and pacifism in which even if the Prime Minister changes, no one will be complicit with other countries in order to avoid World War III again. Matsudaira
流行歌「長崎の鐘」は、永井隆の随筆が元になっていると聞いた事が有ります。歌のゆかりの地を尋ねまして、当博物館へとやって来ました。
長崎に行くと母に言ったら永井博士の本を貸してくれました。昔、藤山一郎という人が歌った長崎の鐘と言う曲がラジオから流れていた。その曲は博士が書いた本を元に作られたんだよと教えてくれました。亡くなるまでの3年間過ごされた如己堂『おのれのごとくひとをあいせよ』言う意味だそう。皆が優しい気持ちを持てば争いもなくなるのにと思わされる良い場所でした。
展示スペースには長崎の鐘が流れていて、厳かな雰囲気の中見学する事ができます。日中は修学旅行生が多いので朝イチで訪問することをおすすめします。
城山小学校の資料館の館長さんにすすめられ見学しました。たまたま伺った日が、永井隆さんの命日でした。私も、医療従事者ですが、永井隆さんのようには生きられない。キリスト教のおかげなのでしょうか、素晴らしすぎる方です。見学して良かったです。
浦上の聖者と言われた永井隆の人生を紹介する長崎市の資料館。永井をどう評価するかは今も難しい問題だ。1、戦時中は中国で軍医として活躍。侵略戦争の手先の1人だった。それを永井自身がどう総括していたのかがよくわからない。2、原爆による多大な犠牲を、それによって戦争が終わり平和をもたらした神の摂理と説明した。一部のカトリック信者には納得された。しかし、どうしても理解できず苦しんだ信者もいた。この考え方を擁護するか否定するかで、今も評価が分かれている。
原爆投下で自分は大怪我しているのに関わらず、沢山の怪我をした人々の治療に従事した神様の様な素晴らしい人だと思います。長崎に来たら是非訪れて見てください。
永井隆は放射線物理療法の研究に取り組み、戦時中は軍医として従軍、長崎医科大学助教授となり物理的療法科で研究を続けていたが、ラジウム放射線被爆により白血病を患う。2ヶ月後、原子爆弾で更に被爆することに。その原爆症を自らの身体を実験台に研究を続けることを生涯にした。カトリック教徒。
| 名前 |
長崎市永井隆記念館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
095-844-3496 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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如己堂の横にあります。入場は200円、貴重な資料や映像などを見ることができます。