静寂漂う志々伎神社、心の奥に響く。
志々伎神社 中宮の特徴
参道には苔むした石段があり、独特の雰囲気を醸し出しています。
志々伎神社は日本武尊や十城別王を祀る格式の高い神社です。
平戸島はかつて遣唐使の基地として栄えた歴史深い場所です。
志々伎神社(志自岐神社)は、長崎県平戸市志々伎町に鎮座する古社で、地域の信仰の中心として長い歴史を誇ります。神社の祭神は「十城別王(とおきわけのおう)」で、記紀に登場する古代の皇族です。十城別王は、景行天皇の皇子の一人で、西国鎮撫のため九州に派遣されたと伝えられています。特に肥前地方の平定に関与したとされ、その功績から土地の守護神として祀られるようになりました。志々伎神社は古くから航海安全や海上守護の神としても崇敬されてきました。社殿の背後には霊峰・志々伎山がそびえ、山自体が神聖視され、信仰の対象となっています。神社名の「志々伎」は、この山の名に由来すると考えられています。また、古代からの祭祀遺跡や伝承も多く残されており、地元では「志々伎様」と呼ばれ親しまれています。現在でも旧暦9月に行われる例大祭は、地域の重要な年中行事として受け継がれており、歴史・伝統・信仰が一体となった文化的な存在といえます。志々伎神社と十城別王は、古代日本の西国支配と神話の交錯を伝える貴重な史跡です。数千社の神社を参拝して来ましたが『在り』の神社です。十城別王ではないのかもしれません。人に来てほしくないオーラがすごい!
当社は平戸島最南端、宮之浦漁港を見下ろす場所に辺都宮、宮之浦漁港から少し陸続きの沖に沖都宮、志々岐山中腹のここが中都宮、山頂に上都宮が在リ、四宮合わせて志々伎神社と云う。主神は仲哀天皇の皇弟、十城別王(日本武尊の第六王子)、相殿は七郎氏広です(鐶頭太刀を佩刀)県内はもとより全国でも有数の歴史を誇る古社と石碑に刻まれてました。*太刀は有形文化財指定 今は不公開で此処には有りません。鐶頭太刀無銘拵付一口(九十五センチ直刀)、附太刀図一通。
【式内社】🅿あり【2022.11.26】まずは道のりから。志々伎神社や志々伎山登山の案内板があるので、入口や曲がるところを探し回ることはあまりない。でも、下調べはちゃんとしておくべきで、鳥居があるからと付近の草地に車を停めて安易に先を急ぐのはNG。阿弥陀寺横の鳥居がそれ。くぐってしばらく登ってみたが、登山並の参道に違和感と疲労感がハンパなく、マップで見ると神社は遥か上方に…志々伎山登山口の駐車場があったな…と、戻るのも大変そうだったが、阿弥陀寺に降りる石畳があったので、そこから下山。改めて、登山口駐車場へ向かうと志々伎神社への看板があり、駐車場・トイレもあると。信じて先に進むと少し拓けた所にでるが、行き止まりなので適当には車を停めれる。ここまで来ると、さすがに神社は目の前にあり、登山道兼参道を登ってくれば辿り着いたであろう階段もある。で、トイレは境内?にあるが、ここにあることをありがたいと思うべき存在。普通には使えます。(手洗いの水は出なかった)九州で初めての神社だが、やはり地域が変われば様相も違う。特に狛犬が。あとは存在意義というか何というか。この場所にあることも不思議であり、誰もが簡単に参拝出来る所ではないのにな。お賽銭は拝殿の引戸を開けてから。
日本武尊の子どもで神功皇后に仕えた武将入り口では山岳修験道みたいですねこれはキツい系と見ました(笑)なので車で登ります。道は狭いですがまぁ行けちゃいます。
参道の雰囲気が良いです。
ここだけ空気感が違う様に感じます。地域の方々に大切にされている様です。横の池もなんだか雰囲気あります。敷地内にトイレもあります。大鳥居の真前まで車で行けます。
志々伎神社しじきじんじゃ長崎県平戸市野子町251番地祭神十城別王日本武尊の子で神功皇后の朝鮮戦役に協力したという中宮で志々伎山頂に上宮があります。
静かな場所ですね!
格式の高い神社みたいですよ。
| 名前 |
志々伎神社 中宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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志々伎神社(ししきじんじゃ)中津宮。長崎県平戸市野子町。式内社(小)、旧県社。【祭神】十城別命(とときわけのみこと、日本武尊の子) (配祀)鴨一隼命 七郎氏広子)当社は、小値賀神島神社(鴨一隼)や平戸七郎神社(七朗神社、七郎氏広)など、各武将の分掌した下松浦一円の警備統轄の中心本署とされる。資料によると、式内社志々伎神社は,志々伎山を中心にして上宮,中宮,地の宮,沖の宮の4社と別当寺(円満寺=現在の中宮社)の5つの社域がある。上宮は、志々伎山(347m)の山頂に石祠がある。中宮(当社)現在地は円満寺の跡であり、中宮は現神社地より200m上にあった。下宮は、宮之浦港の左手の山、「ひもろぎの山」の麓にあり、本来の当社の中心であったが、現在の中心は中宮である。「邊都宮」「地の宮」とも呼ばれ、倉庫・武器庫の名残とされている。沖の宮(沖都宮)は宮之浦の港の小島にある。景行天皇が築紫を巡幸されたとぎ「志式島」の行宮におられ、大値加・小値賀(風土記には大近・小近)の賊を(風土記には小近の土蜘蛛を大耳(おほみみ)、大近の土蜘蛛を垂耳(たりみみ)とある)を征し給うた。ここが「志々伎宮ノ浦の行宮であつたという。ついで神功皇后の三韓征伐の凱施に際しては、十城別(とをきわけ)王(又は命〉を下松浦郡志自岐に留め、三韓に対する警備に当らせ給うた。志志伎神社はこの十城別王を祭祀した神社であるという。とあります。