津和野城主の墓を訪ねて。
吉見正頼·広頼の墓跡の特徴
戦国時代の津和野城主、吉見正頼と広頼の墓です。
歴史的な価値を感じられる吉見家の霊廟が魅力です。
萩市に位置し、訪れるべき歴史スポットです。
山口県萩市から日本海沿いに国道9号線を東に向い10分もしない内に案内板が有ります、其れを左に海側へ。説明板やwikiに拠れば源範頼を祖先とする島根県の津和野城主吉見正頼は大内義隆の姉を妻に迎え益田氏との争いもあり、大内義隆を討った陶晴賢に対し挙兵、其の後毛利氏と同調し長門阿武郡に所領を得て指月城に隠居、其の後1588年死去、城下に葬られ此方に改葬。吉見広頼は息子で小田原征伐等に参加するも毛利氏の転封に伴い津和野から萩へ移転、更に嫡子病死次子出奔により吉川広家の実子を婿養子として迎え1613年死去。次子広長は独立大名化を目指していたものの失敗し家督を継ぐも追討され、養子吉見政春も毛利就頼に改名して大野毛利家に。下方の石塔群は家臣の物とか。
吉見正頼・広頼の碑。宝篋印塔が二つ、下には家臣の墓があります。
戦国時代に津和野城の城主だった、吉見正頼・広頼父子の墓です。
| 名前 |
吉見正頼·広頼の墓跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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