松平信光公の築城跡、岩津城。
岩津城跡の特徴
整備された竹やぶを切り開いた場所に位置しています、訪問しやすくなっています。
岩津城址は松平三代信光の築城であり、歴史的な背景があります。
案内板には信光明寺の裏手にあり、曲輪の址が確認できます。
綺麗に整備されて手書きの説明板や竹林が美しい。
松平氏の嫡流である岩津松平家の本拠にして居城。岩津松平家は今川氏の圧迫を受けて衰退し、惣領の地位は庶流の安祥松平氏に移った。『小牧・長久手の戦い』では徳川家康により改修されたとある。城跡には遺構が良好に残り、保存会の方々により整備・維持されている事から非常に見学がし易い。愛知県は名古屋城をはじめとした天守がある城が多く残る中、城マニアにはたまらない城跡。
松平信光公の居城…この後、南側へ勢力を広げ、あの徳川家康公へと。中に進むと、小さいながら、土塁、曲輪、土橋が、特に曲輪、土塁はいくつも見られました。きれいに保存されていたので、スムーズに散策することができ、中にいると外界と遮断され、はるか昔の世にいるかのように…。
岩津城は岩津松平家の祖とされる松平信光によって築かれた城です。1571年(元亀2年)に武田軍が三河に侵攻した際に一度廃城となりましたが、1584年(天正2年)の「小牧長久手合戦」の際に徳川家康によって改修されたと考えられています。城址は岩津天満宮から東名高速を挟んだ西の山にあり、小規模ながら保存状態の良い遺構を確認することができます。道沿いに竹製スライダーや、手作りの案内チラシが設置してあり、地域住民が整備している。
1400年代初頭に松平泰親(二代)・信光(三代)によって築城され居城になる。以降はこの城を中心として、松平氏発展の基礎が固められた。1584年前後に徳川家康により改修されたとされています。同時代の優れた縄張り構成をもつ城郭です。城趾は岩津天満宮から東名高速を挟んだ西の山にあり、小規模ながら保存状態の良い遺構(土塁・曲輪・空堀・虎口など)を確認する事が出来ます。登城口から進んで行くと、突きあたりの右に空堀があり、さらに竹藪の中を進むと土橋と空堀に着きます。この先が主郭になっており、土塁の上に「石津城趾」の碑が建っています。主郭の周辺には腰曲輪があり、遺構が沢山に残っており見ごたえがありました。登城口に立っている「この先、戦国時代」の立札にも唆られるものがありますした。
「どおする~」効果もあってか、キレイに整備され、訪問しやすくなっていた(ずっと前は竹藪かき分けかき分け……)。縄張り図も掲示され、全体像がイメージしやすい。「この先戦国時代」の看板も妙😍主郭前の空堀は深くて見事。
私有地でしょうが整備、開放していただき感謝です。信光公の時代は竹林ではないので蚊も余りいないでしょう。松平郷から進出した泰親公城跡、感慨深い。岩津天満宮から橋渡ると登り口あります。主郭、各曲輪、土橋、土塁、虎口、空壕など見所あります。
竹やぶを切り開いた場所にあります。ヤブ蚊が大量にいるので虫除けスプレーが必須です。私は腕カバーをしていましたがこれは有効でした。
徳川家康の先祖、松平3代信光 築城の岩津城址です。今の豊田市市街地の東部、松平郷に勃興した松平(徳川)氏は、より広い穀倉地帯を求めて南へ領土を拡張するため最初に進出した場所とされています。此処を拠点にグングン南下し徳川家康出生地の岡崎市街地や愛知県有数の穀倉地帯である安城市へ拡大していく様が手にとるようにわかる地点にある城址です。15年以上まえに一度伺った時は、入口付近まったく整備されておらず民家の脇の竹藪を分け入りながら見学しましたが、今は登城通路も整備され落ち葉や赤土の道に気をつけながら歩けば入口から5分くらいで本丸(主郭)の広場まで行けます。主郭を取り巻く空堀も残り土橋まえには馬出しと、中世城郭の様相をよく遺した見事な城跡です。戦国期前半の城郭なので石垣等の遺構はありませんが、森に囲まれた竹林の葉音を聴きながらじっくり散策するには丁度いい城跡だと思います。
| 名前 |
岩津城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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【岩津城跡:保存整備活動の記録】地元の有志約25名とともに、岡崎市の史跡「岩津城跡」のボランティア整備活動に参加しています。キドコロ塗装としても、地域貢献の一環として継続して関わっています。地域の歴史を守り、次の世代へつないでいく大切な活動だと感じています。活動の様子は、YouTubeやnoteブログでもご覧いただけます。