神秘の雰囲気漂う、鹿島天足和気神社。
鹿島天足和気神社の特徴
鹿島天足和気神社は、知る人ぞ知るひっそりとした神社です。
かわいらしい子犬サイズの狛犬が迎えてくれます。
由緒ある延喜式内社で、地元の信仰を集めています。
神秘的な神社で、トイレもあります。延喜式内社で西暦100年位からの歴史ありとの事です。御朱印はありませんでした。
神秘的な神社で、トイレもあります。延喜式内社で西暦100年位からの歴史ありとの事です。御朱印はありませんでした。
狛犬さん、子犬サイズで、ムチッとしたかわいらしさ。角も立派です。スギでしょうか?マツかなぁ?この曲がり方で自立しています。すごいなぁ。
宮城県亘理町逢隈鹿島宮前地区の山の中腹に鎮座する鹿島天足和気神社(あたらしわけ)です。亘理公園を訪れた時に見つけて立ち寄りました。とても立派な鳥居にやや急な階段を登ると木々に囲まれ本殿に辿り着きます。創建が111年で歴史ある神社で大切に管理されておりました。御祭神は武甕槌神・稜威雄走神(鹿島伊都乃比気神社)・猿田彦命(鹿島緒名太神社)で鹿嶋三社大明と称します。
知らないで通りがかったら見落としてしまいそうな、ひっそりとした感じの神社です。鳥居の雰囲気や、階段を登りきった時の雰囲気はとても良かったです。鳥居手前の左手に社務所があったのですが、どうやら留守のようでした。他の方のクチコミを見た感じ、事前連絡しないと留守の事があるみたいでした。
初めて参拝しました。急な石段を慎重に歩いた先にかわいい狛犬がいてほっこりしました。とても静かで落ち着く神社です。〜追記〜今回が4度目の参拝です。本日、御朱印を頂く事が出来ました。心地よい風が吹いていて、とても癒やされました。(7月26日)
初めて参拝しました。急な石段を慎重に歩いた先にかわいい狛犬がいてほっこりしました。とても静かで落ち着く神社です。〜追記〜今回が4度目の参拝です。本日、御朱印を頂く事が出来ました。心地よい風が吹いていて、とても癒やされました。(7月26日)
参道入口は 38.042171, 140.844396 になります。
かわいい狛犬ですよね。
| 名前 |
鹿島天足和気神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0223-34-2456 |
| HP |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010278 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)。宮城県亘理郡亘理町逢隈鹿島字宮前。式内社(小)鹿島天足和気神社、及び、式内社(小)鹿島緒名太神社論社、及び、式内社(小)鹿島伊都乃比気神社論社、旧郷社。【祭神】武甕槌神 素盞嗚命 天児屋根命 誉田別命 天之御中主命 高御産霊神資料によると、由緒書によると、第12代景行天皇41年8月6日、日本武尊により現在の鎮座地の北にある神宮寺地区字ヲフロの三門山へと勧請された。主祭神は、武甕槌神。明治期の『亘理郡神社明細帳』によれば、第10代崇神天皇の五世孫である鹿賀別王の嫡孫の三品掃部輔物部朝臣正隆が亘理に下った。亘理郡鎮座の延喜式内社である亘理鹿島三社(当社、鹿島緒名太神社、鹿島伊都乃比気神社)と安福河伯神社の神司職を蒙った。なお、鹿賀別王は「国造本紀」によれば、浮田国造として陸奥国宇多郡を統治していたという。現在も三品家が社家として奉斎している。鹿島三社のうち、当社と鹿島緒名太神社は、『日本三代実録』記載の「陸奥国に鎮座する鹿島大神苗裔を祀る三十八の神社」のうちの二社とされている。当社には、左殿に式内社「鹿島伊都乃比気神社」御祭神である稜威雄走神(いつのおはしり、武甕槌神の父)、右殿に式内社「鹿島緒名太神社」御祭神である猿田彦命を祀る。亘理鹿島三社の総社機能を有した。当社は平安時代に北鹿島地区に遷座、江戸時代に現在地に再遷座した。他の二社もそれぞれ、鹿島緒名太神社は逢隈地区小山へ、鹿島伊都乃比気神社は吉田地区作田へ遷座した。つまり、亘理鹿島三社の元宮でもある。当社の北東の北鹿島地区に鎮座する八雲神社の本殿南側には、三門山に祀られていた当時の鹿島神社の石祠が鎮座している。吉田地区作田の民有地内にあった小祠が式内社「鹿島伊都乃比気神社」の論社の一つ。現在は、月山神社に合祀されている。平安時代、桓武天皇の延暦元年(782年)5月朔日、祈祷を行ったところ、鹿島の神が凶賊討伐に神験を示したことから、勅命により勲五等封二戸が与えられた。清和天皇の御世の貞観4年(862年)壬午6月15日に官社に列し、「鹿島宮」と称するようになり、同年同月18日には従四位上が授けられた。天慶4年(941年)に鹿島地区字北鹿島の樫木山の山頂に遷座し、その後、領主から神領寄付などがあったが、天正年間(1573年-1591年)に起きた戦乱の影響で神領地が廃絶。江戸時代になり、貞享3年(1686年)4月6日、亘理伊達家5代当主伊達実氏が現在地に社殿を再建した。神輿殿は、亘理伊達家第10代当主の伊達村氏が寛政2年(1790年)に拝殿として建立。現在の社殿は、明治41年(1908年)に建立された。明治に近隣の各社を合祀し、現在は、素盞鳴命・天児屋根命・誉田別命・天之御中主命を配祀する。とあります。