800年の歴史が生きる神幸祭。
阿蘇神社の特徴
安政5年の古い狛犬が出迎え、訪れる人を魅了します。
近くには美しい観音像があり、見どころが豊富です。
熊本地震の影響で立ち入り禁止となり、復興が進んでいます。
JRの肥後大津駅から車で5分。駐車場...なし。御朱印...不明。彫刻がすばらしい。珍しい御馬堂がある神社。1764年、当時牛や馬の病気や事故が多く、農民が苦しみ無病息災を祈願して神馬として祭り上げ、その安全を祈願してこのお堂を設立したそうです。
県道側と、手前の交差点から入った2ヶ所の入口に、どちらも鳥居がありました。市内から行くと丁度鳥居が見えたので後者から入ると、ブサカワな獅子?と思いきやよく見ると口先が少し欠けてる様なお顔…可哀想。左の狛犬は大丈夫だがどちらも顔がちっちゃい。年齢不明。拝殿の左手に、県道からの階段と鳥居が見えたので降りて行くと、また別の狛犬が!探索してよかった。こちらは左右の阿吽が反対の配置。大正参年とあるのでなかなかの御歳。もっと天気のいい日に撮影したかった。
安政5年(1858)の古い狛犬が迎えます。拝殿は明治25年の建立で、本殿はそれよりも時代が下りそうな印象です。本殿の彫刻が圧巻で、一見の価値があります。大津の南部地区には江戸時代に栄えた重要文化財の江藤家を筆頭に、数多の大型民家が残されています(登録文化財4件)。本殿の意匠性に盛時の勢いがよく示されていて、とても貴重な地域の文化財といえるでしょう。少しづつ、彫刻の部材が脱落するなどの傷みがみられています。いち早く指定文化財にされるべき神社だと思います。
大きな神社です。白川に添って大きな神社があります。
近くにある観音像も素晴らしい。
800年の歴史があり、10年ごとに行われる神幸祭は、室町時代から続いているらしく、大名行列の奴道中、稚児行列、女性たちの道中踊りなどで賑わうなど地域にしっかりと浸透している。令和4年10月には町の無形民俗文化財に指定されている。窪田阿蘇神社 は、鎌倉初期建仁元 (1201) 年に大津町上陣内 (玉 岡) に阿蘇社を勧請して創建された健磐龍命を始めとする阿蘇 12神を祀る神社です。ここは古くはその御旅所でしたが、室町後期 文明元 (1469)年にここに遷宮しました。 白川北岸の上陣内・中陣内 ・下陣内・上町の4地区の鎮守となり、地域の核としての役割 があります。往古には、阿蘇からの往還がこの地域を通り、沿道は 賑わいを呈したと伝えられています。本殿には、屋根を支える梁や肘木などに壮麗な装飾が彫刻され、阿蘇系の古式の神社の形式を受け継ぐ伝統的な作りです。地域の歴史を伝える「陣内志談」では、「窪田阿蘇神社は大字町にあり、阿蘇12の神をまつる町村大明神という、大字陣内及び大字町の氏神なり。(中略) はじめは御幸の旅所にて、 文明年間迄は大祭礼あり。その祭典の節には馬場筋にて流鏑馬等あり。今に立ちその旧跡的場、或いは市場の名を存せり。又露天軒を並べて町立ち賑わいし所なり。されば地名を町と云うに至れり。文明年間・玉岡より当所に遷宮し、以来10年毎に古宮床なる神幸式あり。今に至るまで其の式例を改めず」とあります。神幸式とは、この神社の神体が上陣内字玉岡にあるその古宮跡に御幸するにあたり、地域の4地区の氏子が神幸に供奉して行列をなし、芸能を行う祭礼です。 10年に1度開催される、500年の 伝統を守る民俗行事といえます。 昭和17 (1942)年に諸事情で中断しましたが、神社、及び4地区の有志の尽力で40年ぶりに昭和57(1982)年に復活しました。 地域の努力で受け継がれ、前回 は平成5(1993)年3月に開催されました。町の地名は、行列の時にその賑わいの中心に開催された市場 (=露店街) を 「町立ち」と表現したことに由来しています。 古書 には「灰塚・新村も、町村の内」と書かれたほど、栄えた場所と伝え られています。
熊本地震で大きな損傷を受け、立ち入り禁止になってました。手を入れたような部分があったので、少しずつ直されたのでしょう。
| 名前 |
阿蘇神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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本殿の彫刻が凄いです。狛犬がパグみたいでした。