江戸城の歴史、模型で体感。
江戸城天守復元模型の特徴
皇居東御苑内に位置する江戸城天守復元模型は必見のスポットです。
江戸時代初期の天守閣の模型があり、歴史を感じる展示が魅力的です。
本丸休憩所売店のそばで、写真撮影が楽しめる貴重な体験ができます。
大手門から入ってこちらの模型を見に来ました。この先に天守台があるので、セットで見ると楽しいですよ。
家光の頃に立て直された天守閣の復元模型です。秀忠・家光の頃の天守閣は、休憩所の北側の天守閣跡にありましたが、家康が建てた天守閣は、休憩所のちょうど前方にある富士見多門のあたりにあったそうです。これだけ広い本丸なので、時代によっては天守閣の位置も変遷しているのは面白いです。とは言え、天守があった時代は、江戸時代の最初の50年程で、その後は、富士見櫓がその役目を果たしてました。
模型説明によると【江戸時代初期の50年間に3度も建てられた江戸城の天守は3度も建て直されています。 模型は3代将軍徳川家光が建てた3度目の天守にあたります。 寛永15年 (1638年)に竣工しましたが、明暦の大火で 焼失するまで20年間しか存続しませんでした。 4度目の天守の再建計画はありましたが、 石垣の天守台のみ造られて中止となりました。明暦の大火で江戸の町の大部分が焼失し、軍事上無用な天守の再建より、町の復興を優先させた、と言われています。以降は、同じ本丸の南にある富士見櫓 (現存) 守の役割を果たしました。模型の設計にあたって、 建築構造は 『甲良家文書』 (東京都立中央図書館所蔵) の図面を基にしました。 屋根、壁、金具類等の材質や色彩は『江戸図屏風』 (国立歴史民俗博物館所蔵)の天守の絵を参考にしました。 細部の形状は、 名古屋城や姫路城など建設時期や規模の近い天守、家光が関わった日光東照宮の建物、さらに江戸城の現存する櫓や門を参考に推定しました。 石垣の積み方は、建設時期が近く、 徳川幕府によって築かれた大坂城と二条城の天守石垣を、色彩は江戸城内に残っている寛永期のものと思われる石垣を参考に、 模式的に表現しました。現在の天守石垣について現象、本丸北隅に残る石垣は、明暦の大火の翌年、万治元年(1658年) に加賀藩が担当して再建された天守台です。建物は計画図面まで描かれましたが、 再建は中止されました。 天守が無い状態が210年間続き、江戸時代は終わりました。 再建天守台は寛永期天守と同規模の建物が乗る面積ですが、高さは寛永期のものより1間低く造られました。 寛永期天守の天守台には、伊豆石という黒い石材が用いられましたが、 再建天守台の外周の石材は、寛永期とは異なる白い安山岩が用いられました。 再建天守台の内側などの一部には黒い石材が用いられて いますが、寛永期のものを再利用したと考えられています。】
皇居東御苑内にある施設です。江戸城天守の再現模型だけではなく、色々な資料も展示されています。
あーこんなのがあったのか〜と思いました(^^)
本丸休憩所売店の横にある。欲を言えば、江戸城天守復元模型だけでなく、皇居/皇居東御苑の地形模型図があると、所在や高低差、距離感を感じ取れると思うのですが。
江戸城址としての展示役割りであろうが、立派な建物の中に再現天守閣がポツリとあるのは寂しさを感じざるを得ない。
壮大だったのでしょう。
復元模型が飾られています。
| 名前 |
江戸城天守復元模型 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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家康、秀忠、家光で天守がそれぞれ築き直されたとされます。なんという贅沢な、、、!富士の山がバックに映えたとされる江戸城の復元模型を是非ご堪能ください。