海と甲山の久美浜城址。
久美浜城跡 (松倉城跡)の特徴
1582年の本能寺の変以降の歴史を感じる場所です。
松井康之にゆかりがある史跡で興味深い発見ができます。
海と甲山を見渡せる絶景ポイントで癒しのひとときを。
整備はされていないので、登城は余りお勧め出来ません。特に暑い日はマムシに注意が必要です。険しい山城ではないので、気軽に登れます。頂上からみる景色は最高です。
【細川忠興の家臣松井康之に関連有】松井康之さんめっちゃすごい方です(お名前で検索かけて損なし)1582年、本能寺の変で織田信長が横死したあと、明智光秀の誘いに乗らず細川藤孝が隠居して細川幽斎と称すると、跡を継いだ細川忠興に仕えました。この時、豊臣秀吉は丹後水軍が維持されるよう、加増分の3分の一は舞つけに与えるよう指示しており、松井康之は20000石にて丹後・松倉城(久美浜城)に入りました。その後細川について行って豊後・杵築城にもいます!
久美浜小の西側の府道から入っていけます。稲荷社を過ぎ、段曲輪が複数続き頂上につきます。反対側は九十九折りに下れそうでした。小規模ながら海に近く、崖も急で攻めずらそうでした。
海と甲山を望む城址。
| 名前 |
久美浜城跡 (松倉城跡) |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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別名、久美浜城。松倉周防守居城。天正10年(1582年)細川藤孝の武将松井佐渡守康之と戦い討死。康之居城後、関ヶ原西軍により焼き払われた。肥後八代城主は康之の子、松井興長。幕藩体制時は天領となる。