金沢の歴史を感じる、甚右衛門坂。
金沢城 甚右衛門坂の特徴
新丸広場の西へ続く長い坂道が印象的です。
業務用門に入れない特別感が魅力となっています。
歴史的なスポットとして訪れる価値があります。
ここは業務用門らしく入れません。
金沢城の前身である "尾山御坊"は、加賀一向一揆によって城郭が築かれ、一向一揆の重要な拠点であった様です。柴田勝家や佐久間盛政.前田利家らが率いる織田信長北陸方面軍との戦い 『尾山御坊の戦い』で、一向一揆の将 平野甚右衛門が奮戦した場所と伝わる。往時は この坂が大手道だったのかもしれません。
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新丸広場の西へと続く長く緩やかな坂道。普段は締め切りなのだろうか。
関係者以外入れません。
| 名前 |
金沢城 甚右衛門坂 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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金沢城の西側、尾崎神社の近くから城内へ向かって延びる坂が「甚右衛門坂」です。現在の金沢城公園には「甚右衛門坂口」が設けられており、城の西側と城下を結ぶ位置にあることが分かります。現在は管理者用出入口となっていますが、この坂には金沢御堂の時代にまでさかのぼる歴史が伝えられています。坂の名前の由来とされているのが、天正8年(1580)の金沢御堂をめぐる戦いです。当時、この地には本願寺の金沢御堂があり、織田信長方の柴田勝家らによる攻撃を受けました。金沢御堂が陥落すると、佐久間盛政がその跡地を城として整備し、後の金沢城へとつながっていきます。甚右衛門坂については、この戦いの際に本願寺方の武士・平野甚右衛門がこの付近で奮戦し、討ち死にしたことから、その名が付いたと伝えられています。その後、戦乱の時代を経た甚右衛門坂周辺には、まったく異なる歴史が刻まれていきます。前田利家に招かれて金沢へ移った高山右近を頼り、内藤如安や浮田休閑らキリシタン関係者が集まったと伝えられ、坂下には「伴天連屋敷」があったとされています。右近自身も天正16年(1588)ごろに金沢へ移り、前田家に仕えました。やがて慶長19年(1614)にキリシタン禁制によって国外追放となり、金沢を離れます。こうして、かつて平野甚右衛門が戦ったと伝えられる場所は、近世初期にはキリシタン関係者が暮らす場所として歴史に登場します。坂そのものは、金沢城と城下の高低差をつなぐ道として、地形をそのまま利用した構造になっています。城の西側には高低差があり、坂を下ると城下側へ移ることができます。周辺には尾崎神社や伴天連屋敷跡など、金沢城の建物や石垣とは異なる歴史を伝える場所も点在しているため、甚右衛門坂を一つの「通路」として見るのではなく、城内と城下を結ぶ歴史の境目として歩くと、その位置関係が分かりやすくなります。現在の甚右衛門坂には、かつての戦闘を直接伝えるような大規模な遺構が残っているわけではありません。しかし、坂の名前には平野甚右衛門の戦いが伝えられ、坂下には伴天連屋敷跡が残されています。一つの坂道に、金沢御堂をめぐる戦国の戦いと、前田家の時代に高山右近らが活動したキリシタンの歴史が重なっているところに、この場所ならではの面白さがあります。金沢城を訪れた際には、城内の壮大な石垣だけでなく、甚右衛門坂まで足を延ばすことで、城が築かれる以前から続く土地の歴史にも触れることができます。