新島襄の生き様を感じる。
同志社創立者 新島襄ブロンズ像の特徴
新島襄のブロンズ像が函館港にたたずんでいます。
函館西波止場から近く、末広緑地に位置しています。
明治期の教育者がアメリカへ旅立った地を訪れることができます。
函館ベイエリアの西波止場のすぐ横、明治以降に北海道の玄関口だった東浜桟橋(旧桟橋)すぐ近くにあるブロンズ像です。現在の同志社大学を創設した新島襄という人物で、見分を広めるため、小舟で密出国する際の姿ということ。ちなみに湾内でアメリカ商船に乗り込んだので小舟で国を出たわけじゃないです。
函館の西波止場広場に建つ新島襄のブロンズ像。平成14年(2002年)に建立。作者 峯田敏郎氏新島襄(1843-1890)安中藩(群馬県)の武士の子として江戸で生まれ、米国でキリスト教と近代教育を学んだ教育家。元治元年(1864年)の幕末、彼が21歳の時に福士卯之吉らの協力を得て、函館湾内に停泊していたアメリカ商船・ベルリン号に乗り込み、国禁を犯して海外へと密航しました。帰国後の明治8年(1875年)、京都に同志社英学校(現・同志社大学)を設立しました。明治20年(1887年)に新島は妻の八重を伴って再度函館を訪れています。この「密出国」という決死の行動が、後の大学建学の精神につながる「志」の原点となったと言われています。ブロンズ像は密出国するため小舟に乗り込んで外国船に向かう姿を再現しています。2026年1月初旬に撮影。雪に囲まれた像はしっかりと前を見据え 希望に溢れた青年の 確固たる意思を感じる作品です。
同志社大学が垢抜けて拓かれた大学で国際主義の自由主義でミッションが香り驚愕するほど日本サイズじゃない幅の廊下がバーンとあって細かくカロリー計算されたレシートのオシャレなカフェレストランというハッキリと新しさを組む足元を感じるのは明治の教育者、新島襄の志。たぶんに20年後創立した京都大学は影響を受けた帝国大学だと思う。初代学長木下広次は肥後もっこす。
若き日の新島襄の銅像です。静かな、しかし強い意志が感じられます。函館ドックの方向に300mほど行くと新島襄海外渡航の地碑もあります。新島襄は函館に係る人物として五稜郭内の施設でも紹介されています。
日本の三大教育者 新島襄さん幕末に国禁を犯して渡米し、欧米でキリスト教と教育に触れ、帰国後、京都に同志社英学校(後の同志社大学)を設立した教育者歴史を知れる彫刻も良いです。
八幡坂から赤レンガ倉庫へ向かう道中で発見しました。あまりに小さく、あの新島襄の銅像なのですね。歴史の偉人の像といえば、ほとんどが見上げるほどですが。
これは実物の大きさなのかしら?子供のような姿の銅像。もう少し由緒が詳しいと理解がひろまる。
新島襄先生がアメリカへ旅立たれた地とのことで訪問。この地からベルリン号に乗って、その後上海でワイルドローバー号に乗り換えてアメリカに渡ったそうです。
函館港から各坂道が歩けます。レンガ倉庫もすぐそこ。新島襄は小さかったんですかね?
| 名前 |
同志社創立者 新島襄ブロンズ像 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2026年 6月2日函館から密出国されました‼️好奇心、根性、前向きになんでも吸収される、そして沢山の幅広い学問を収められ、ハンサムウーマンを奥さんにもたれ、宣教師をされ、多くの素敵な方達に出会われ、心からの交友をされ、同志社大学の設立に向けて奔走され、数々の業績を残され、若くして亡くなられましたがその跡を継ぐ方も多く、、、本当に人間として尊敬できます 【 新島襄 】こちらのブロンズ像に出会えまして 久しぶりに 【 新島襄 】の生き様を振り返りました‼️素晴らしい 【 本物の人間 】 ‼️