神輿を落とす!
國津比古命神社の特徴
秋祭りの神輿階段落としが有名な神社です。
御祭神には天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊が祀られています。
愛媛マラソンの見物スポットとしても人気があります。
境内に入ろうとした所それまで静かだったのに急に風が強くなり囂々と大きな音が響き渡りとても怖かった。何か粗相をしてしまったんでしょうか。
とても立派な神社でした。ずっと続く参道が清々しいです。
第二の鳥居をくぐり、階段上がって右手奥に櫛玉比賣命神社参道‼️左手に國津比古命神社楼門があり、趣のある階段上部に本殿があります‼️境内はゆったりしていて、楼門から見上げた本殿の景観が何ともいえなく、本殿の大きい🏮提灯🏮も印象的でした🎵🎵
One of two old shrines located on the same grounds. Of the two this one has an older and more masculine feel, and you can almost feel the age. Definitely feels like a power spot. The main building has a lovely stage design looking across the valley and mountains, and the statues of the guardian deities are VERY old and have a mysterious feel to them. The shrines are both located up a couple of flights of stairs. Was very quiet and I didn't see a single other person apart from a person who lives on site who kindly wrote me a goshuin for both shrines.同じ敷地内にある 2 つの古い神社 (もう 1 つは後でアップします) のうちの 1 つ。 2つの中ではこちらの方が年上で男らしい雰囲気があり、年齢を感じさせる。 まさにパワースポットのような雰囲気を感じる。 本殿は渓谷と山々を望む美しい舞台デザインとなっており、守護神像は非常に古く神秘的な雰囲気を醸し出してる。 どちらの神社も階段を数段上ったところにある。 とても静かで、両神社とも親切に御朱印を書いてくださった敷地内に住んでいる方以外には人いなかった。
あるのかもしれませんが、恐らく駐車場がない?いけないのですが、皆さん路駐をして参拝をしています。勿論、徒歩で来られている方もいますが。同じ敷地の左右にそれぞれ神社がある配置になっています。右側が國津比古命神社、左側が櫛玉比賣命神社があります☝️それぞれ御祭神が違うようです。
週3ぐらいで来てます。昔は階段が高い気がしました。子供だったからかな?階段の上から見える、鹿島はとても良いです。
階段から神輿を落とす奇祭で有名です。重厚な山門やファッショナブルな灯篭など見どころの多い神社です。
階段上から神輿を落とすお祭りで有名(今年はコロナで神輿落としは中止)御朱印は社務所でして下さいました(櫛玉ひめ神社とあわせて)
御祭神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊相殿 宇麻志麻治命、物部阿佐利命、誉田別尊由緒書が非常に興味深い内容となっています。
| 名前 |
國津比古命神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
089-992-1202 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
〒799-2424 愛媛県松山市八反地106番地 107番地 |
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国津比古命神社(くにつひこのみことじんじゃ)。愛媛県松山市八反地甲。式内社(小)、旧県社。【祭神】天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(配祀)宇麻志麻治命 物部阿佐利命 誉田別命【祭祀対象】物部氏・風早氏資料によると、第15代応神天皇の時代、物部阿佐利が国造に任命され、その祖神である櫛玉饒速日尊と、その饒速日尊の子である宇摩志麻治命を奉斎したことに始まる。物部阿佐利は、『古事記』に第10代崇神天皇の条に登場する、伊香色男命の四世孫(『古事記』該当部分)。その際に、櫛玉饒速日尊の妃神である天道姫命と御炊屋姫命を奉斎したのが、隣接する櫛玉比売命神社である。初め、櫛玉饒速日命神社と称したが、後に物部阿佐利命を合祀して現社号となった。また、後世に誉田別尊を合祀して、頭日八幡宮と称した。夫婦及び一家を祀る、両社一対の神社で、中世までは壮大な構えのあった神社だったが、戦国時代の天正年間(1573年-1591年)、戦火のために社殿・宝物が焼失。その後、河野氏が社殿を再建したが、天正15年(1587年)には河野氏は滅亡するので、あまり時間的な余裕はなかったかもしれない。江戸時代になり、享保年間(1716年-1736年)になり、八幡から現社号に改称した。明治4年(1871年)、郷社に列し、明治29年(1896年)には県社に昇格した。昭和43年(1968年)には中殿・拝殿を改築、昭和60年(1985年)には社殿屋根葺替や境内地の拡張が行われた。八脚門は県指定有形文化財。境内地には、櫛玉比売命神社古墳がある。全長約75mの前方後円墳とされ、4世紀後半の築造。前方部が削られ、櫛玉比売命神社の社殿が造営されたが、後円部は残っている。また、当社の社殿の下も全長45mほどと考えられる前方後円墳があるとされる。一回り大きい櫛玉比売命神社古墳の方が、物部阿佐利の墓なのかもしれない。なお、大和国には高市郡に櫛玉命神社、広瀬郡に櫛玉比女命神社があり、当社と櫛玉比売命神社ほど関連は指摘されないが、似ている部分がある。とあります。