毛利元就の秘めた城跡。
多治比猿掛城跡の特徴
毛利元就が幼少期を過ごした歴史的な城跡です。
郡山城の支城としての重要な役割を果たした場所です。
周囲が見えない静かな森の雰囲気が魅力です。
元就公の育った処、登って見たかったな。博物館のジオラマで雰囲気感じて、職員さんの説明聞いたら、今回のスケジュールでは、辿り着くには時間厳しい。遠望と、入口だけに留めます。
多治比猿掛城は国の史跡に指定されています。毛利元就が当主となるまで過ごした城として有名です。元々は父弘元の隠居城で弘元没後元就が城主となりました。多治比猿掛城は標高376mありますが比高は120m程度なのでなめてましたが、傾斜がキツく本丸まで登るのはなかなかしんどいです。城自体はコンパクトで登山口から少し登ったところに家臣団等の居館跡と思われる寺屋敷郭群があり、そこから80m程度登ると本丸があります。本丸はそれほど広くなく眺望も今ひとつです。遺構として堀切、土塁などが確認できます。私は麓から登りましたが、毛利弘元の墓の前に駐車場があるので、ここまで車で登ることができます。時間の都合で訪問してはいませんがその他に出丸、物見丸がありますが登山口が異なります。特に物見丸は毛利弘元の墓から片道50分と案内がありました。
国指定史跡の多治比猿掛城。吉田郡山城の付属扱いに思われてますが、毛利元就の出世の城。遺構は分かりづらいけど確かに残りお城好きなら遠回りしてでも立ち寄る価値はあります。
国指定史跡です。出丸、寺屋敷郭群、本丸、物見丸の4つに分ける事が出来るそうです。頂上が物見丸となっています。登山道が整備されているので登りやすい城跡です。
駐車場のすぐ側には、元就の父の弘元の墓所があります城跡への登山道は、大雨災害の為、崩落しています。しばらくの間は、近付くことは難しいでしょう。
駐車場のすぐ側には、元就の父の弘元の墓所があります城跡への登山道は、大雨災害の為、崩落しています。しばらくの間は、近付くことは難しいでしょう。
毛利元就の幼少期から青年期をすごしたお城。階段が土に埋もれてのぼりにくい。
毛利元就が幼少期から過ごし、堀切や出丸など小規模ながら郡山城の支城として支えた城跡です。登山道から10分もあれば登れます。
森林パワーがありそうだ?
| 名前 |
多治比猿掛城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0826-42-0054 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-106120051.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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多治比猿掛城(広島県安芸高田市吉田町 多治比)毛利元就が青年期を過ごした城。明応9年(1500)毛利元就4歳のとき父弘元が毛利家の家督を嫡男興元にゆずり郡山城から猿掛城に元就を伴って隠居した。大永3年(1523)元就が27歳のとき興元の子で元就甥の幸松丸の夭折をうけて家督を継承し郡山城移るまで在城。城石柱、案内板のある登り口から猿掛城出丸、寺屋敷曲輪群をへて本丸へ帰りは毛利弘元墓所お参りし下山。2021年入城、登り口から本丸まで約30分でした。毛利元就が4歳から青年期を過ごし、父が亡くなった城できっと思い入れも深いでしょう。