壮大な古墳群で歴史探訪!
ヒシアゲ古墳(仁徳天皇皇后磐之媛命陵)の特徴
古墳群の中で特に見ごたえがあり、歴史を感じられる場所です。
日本最大級の佐紀盾列古墳群に属し、全長219mの古墳です。
仁徳天皇の磐之媛命陵がある、美しい景観の地です。
佐紀古墳の一つ。大鷦鷯大王(仁徳)の皇后、葛城氏の媛、磐之媛の墓と云われています。不比等が娘を皇后にするにあたり、皇族出身以外の皇后の先例として記紀に記したにしては、うわなり妬みで苛烈な性格に描かれています。が、個人的に私は、凛として自分をしっかり持った強い彼女が好きw誰も居ない忘れさられたような墳墓で、彼女は何を思って眠っているのでしょう。歴史に思いを馳せながら散策すると、また楽しめます。
個人的にはもっと知名度があっていいと思う古墳です。サイクリングロード?の片脇に立地しており、現在はコナベ古墳、ウワナベ古墳等の巨大前方後円墳の陰に隠れている印象ですが、この古墳は前方部に二重の濠を有しています。二重の濠があった古墳自体はまあまああるのですが、けっこう後世になって埋められてしまっています。しかしヒシアゲ古墳は下半分だけではありますが現存しています。かなり貴重だと思います。私の性でしょうか。こういう知名度は低いけど実は凄い!って感じの古墳は好きになってしまいます。閑話休題。拝所には以前は水草がボーボーに生え散らかしていましたが少し綺麗になっています。3xで撮影するといい感じに拝所が映ると思います。宮内庁によって第15代 仁徳天皇皇后の磐之媛命(いわのひめのみこと)の御陵と治定されています。因みに宮内庁は近辺にあるコナベ古墳の被葬者も磐之媛命と推定しています。まあこちらは陵墓参考地ですが。ここからはヒシアゲ古墳被葬者(とされている)の磐之媛命について。父は葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)で武内宿禰の孫にあたる葛城氏の女性で仁徳天皇の一人目の皇后です。履中、反正、允恭天皇の母でもあります。嫉妬深い性格として著名で、仁徳天皇も困っていたそうです。しかし磐之媛は仁徳天皇との間に4人子どもを産んでいるので、嫌っていたわけではなさそうです。彼女が熊野に遊びに行った隙を突いて?、仁徳天皇は八田皇女(やたのひめみこ)を宮中に迎えました。すると磐之媛は激怒し宮中を退出。その後戻ってくることはなく山背国にて薨去したそうです。因みに磐之媛が没した後、八田皇女が仁徳天皇の二人目の皇后になりました。
なかなか素晴らしい景観のとこです。
日本最大級の佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群に属する全長219mの巨大前方後円墳。宮内庁より仁徳天皇皇后磐船之媛命陵として治定されています。近隣には水上池、周囲は歴史的風土特別保存地区に指定されているため、古墳周辺の環境・景観が素晴らしく、非常に落ち着く空間が広がっています。佐紀盾列古墳群に属する全長200mを超える古墳が5基、平城宮跡などが頑張れば徒歩圏内にあるので、合わせて見学されることをお勧めしたいです!2023年11月2日に来訪しました。
航空自衛隊奈良基地の西側にあるのがヒシアゲ古墳。現在、磐之媛命の陵墓として宮内庁により管理されている。この辺りの古墳全般にいえるのは、江戸期から幕末、明治にかけて陵墓を治定する際、多少の混乱、矛盾があったことだろう。それは今でも続いている。特に後年の考古学的調査により築造時期が大王の在位期間と合わないケースだ。いま治定している陵墓のほとんどが正解か、間違っているのかさえわからない。里人の言い伝え、大昔よりの伝承、江戸期、幕末の書物や探索などがどれくらい正しいか。その分かる日がいつの日か来るかもしれない。
仁徳天皇の磐之媛命の陵墓とされてますが、実際の被葬者は不明です。大豪族の葛城氏の娘で、あの仁徳天皇ですら、皇后には頭が上がらなかったそうです。逆に言えば、葛城氏の力が無かったら、天皇の地位は危うかったのかもしれないです。
磐之媛は実家の葛城ではなくて古墳のメッカのこの地に眠っている。
16代仁徳天皇皇后、磐之媛命陵。非常に嫉妬深い皇后と記紀に記述されている。夫の仁徳天皇が八田皇女を自分の留守中に宮中に入れたことに激怒し、山城の筒城宮に移り、同地で没した。陵は夫仁徳の傍ではなく、八田皇女の隣に眠る。
| 名前 |
ヒシアゲ古墳(仁徳天皇皇后磐之媛命陵) |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0742-34-1111 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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この辺りは古墳群として沢山の古墳があり見ごたえがあります。