秋の紅葉と静寂、しのぶそんくう神社。
志演尊空神社の特徴
売却された志演神社と尊空神社が合祀された神社です。
御祭神には倉稲魂命や須佐之男命が祀られています。
清州橋通りの北側に位置する静かな境内が魅力です。
小さな神社ですが、秋は紅葉が綺麗です。祭典の時は神社が開いてますが、普段は開いていません。普段でも、書置き対応で御朱印はお賽銭箱のところに置いてあります。500円をお賽銭箱にお納めします。半紙に金銀箔が入っており、日付も入っています。お近くにお越しになった際は、ぜひ立ち寄ってみてください。※直書きはしていません。
しのぶそんくうじんじゃなかなか読めない(笑)ひっそりとただずんでいる感じでした。徳川綱吉も参拝したことがあるらしく、そんな話しを聞くと、なかなかに、歴史を感じることができます。御朱印は賽銭箱に置かれており、毎日、書いたものを置かれていると思われます。近くによったら足を踏み入れたい場所ですね。
志演尊空神社(しのぶそんくうじんじゃ)、ごま(護摩)の稲荷とも言われいる神社。東京都江東区の清洲橋通り沿いにあり、近くに砂町銀座商店街や明治通り沿いのお寿司の有名店「すし海幸」がある。商店街巡りの前後で立ち寄るのもありかと。境内はそれ程広くないが木々があり日本最古の力石がある。場所柄、明治通りの大通り沿いにありながら静かな雰囲気のある場所。ラジオ体操の会場にもなっており地域の憩いの場としてお祭りなどで親しまれているようで、ご利益も兼ねて。
「志演尊空(しのぶそんくう)神社」と読む。つい最近まで、何となくうらぶれた寂しい境内の神社で、小道を隔てて北東隣に妙久寺(日蓮さん)とその墓地があるのも手伝って、朝のラジオ体操の境内の印象しかない目立たない神社でしたが、近年宮司殿が一念発起して神社改革に取り組んでいるようで、(大島稲荷さんでお会いしたことのあるような)巫女さんが、浦安などの舞を舞ったり、拝殿の開放時間を長くしたりするなど、活気が戻ってきました。鉄道駅からはいずれも距離があり、最も近いところで地下鉄新宿線の西大島駅で、そこからは徒歩で20分は見ておいた方が良いでしょう。スグに西に線路はあることはあるのですが、これは総武本線の越中島支線と呼ばれていた線路で、厳密に申しますと、海のほうにある越中島駅の構内に含まれているところです。北の亀戸駅で総武線に寄り添い、新小岩駅で線路は繋がっていくのですが、貨物専用の道なので、役に立ちません。神社境内前には清洲橋通りがこの線路をアンダーパスする谷道がありまして、クルマで見える方は、北方のSCアリオ側から側道を廻り込む以外に行く方法はありません。以前はこのSCのある辺りは、小名木川(おなぎがわ)貨物駅という広大な貨物ヤードがあり、昭和の半ばごろまでは神社前の清洲橋通りも踏切でここを越えていたのですが、ずいぶんと広漠とした門前になってしまいました。 授与品はいまのところ、昔から在庫していたお守りと、神宮大麻と志演尊空さんの自社大麻を揃えるのが精いっぱいみたいで、追加のお守りやお札などの授与品は希薄なようですが、そもそもがおこんこんさまなので、歴史が近世に遡って古いため、以前から病魔退散・天下泰平・五穀成就に効験がある「ごまの稲荷」と親称されています。 この、ごまの稲荷の"ごま"は、"護摩"のことを言い、神道に於ける護摩は國學院の展示に見られるような吉田神道の系譜が良く研究されていて、密教のそれとは異なり、姫路の広峯神社や逗子葉山の森戸神社などで勤められている斎事とも違い、密教で言うところの柴燈護摩そのもので、18世紀前半にこのあたりで流行り病が蔓延した時、別当僧だった快円法印(台密)がこのお宮の境内で修したことからそう呼ばれるようになったと言います。旧暦の5月22日がこの斎礼と言われ、これらは志演尊空さんでは完全に復活していませんが、「民の志を演ぶる」と社叢に、戦後しばらくまでは「降魔(ごうま)稲荷」と呼んでいた古老もいらっしゃったそうですから、ぜひここは、崇敬の端緒復活で、ご神事を弥栄へ導いていただきたいものです。
静かな神社でした。
社号は「しのぶそんくう」と読みます。本殿の裏手に5基の庚申塔が祀られています。正面に六臂合掌青面金剛。上方に瑞雲つき日月。右上手に剣(?)、左上手に法輪、両下手に弓矢。足下に邪鬼、下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)右側面に「延宝八年庚申八月十六日」(1680年)右手奥。六臂合掌青面金剛。上方に瑞雲つき日月。右上手に戟、左上手に法輪、両下手に弓矢。足元左右に二鶏。足下に邪鬼。下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)「□供養諸願成就」「元禄六癸酉天十一月廿一日」(1693年)奥から2番目は、三猿文字塔。「青面金剛南無阿弥陀佛」「延宝三年八月四日」「乙卯」(1675年)下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)この庚申塔は、「砂村新田六地蔵」の庚申塔と全く同じ日に建立されています。碑の形状、文字の配置、三猿の姿などよく似ていますので、おそらく同じ石工の手によるものでしょう。それにしても、この日は何か特別な日だったのでしょうか。奥から3番目は文字塔。「青面金剛」「延宝八年」「庚申四月一日」(1680年)下方に蓮華。正面の庚申塔と同じ庚申年の建立です。最も手前に三猿文字塔。言わざる、聞かざる、見ざる。「寛文元乙丑年」「十月吉日」(1661年)こちらに祀られている5基の庚申塔のうち4基に三猿が刻まれていますが、その並び順が見事に一致しています。
このあたりの土地に住む人々を守ってくださる「氏神様」だとお聞きしました。氏神様というのは、かかりつけのクリニックがあるように、「かかりつけの神社」みたいな感じの意味っぽいです。大きくて有名な神社に行くと願いが叶いそうなイメージがありますが、近くでいつも話を聞いてくれる神社が一番らしいです。願い叶うと良いなぁ☆
アリオの南側、明治通りのそばに位置している少しこじんまりとした、周りの車通りの多さからすると非常に静かな神社です。手を清める桶は行政指導により、使用不可となっており、桶の中には水はありません。社内の説明によると1945年3月9日に戦災により消失し、1947年に志演神社と尊空稲荷神社を合祀し、志演尊空神社としたそうです。社内には力石が祀ってあります。これは社内の看板によりますと、江東区内では82個の力石が祀ってあり、この力石はそのうちの1つとのことで、地元では志乃武石と呼ばれているとのことです。
清州橋通りの北側、木立に覆われた境内に鎮座される志演尊空神社、珍しい名称の神社で(しのぶそんくうじんじゃ)と読みます。由緒記に、「寛永元年(1624)に創建された当時は深川稲荷と称していましたが、元禄年間、将軍吉宗公が鷹狩りの途中で立ち寄り、「民の志を演ぶること殊勝なり」と称したことで、神社名が志演神社となった・・・」とあります。400年の歴史を有する由緒ある神社です。旧社殿は戦災で焼失したため戦後に再建されていますが、大樹に覆われた厳かな雰囲気の境内に佇むと、神社の長い歴史の一端に触れることができるように感じます。
| 名前 |
志演尊空神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3644-1445 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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2025年12月中旬に訪問。志演尊空(しのぶそんくう)という珍しい名前の神社です。境内は綺麗に整備されてました。