赤穴瀬戸山城、絶景を求めて。
赤穴瀬戸山城跡の特徴
勾配が緩やかで、初心者にも安心な登山道が整備されています。
山頂からは赤名の町の絶景が楽しめ、心が洗われるひとときに。
旧道を通ればかつての城下町の風景も感じられる魅力満載のコースです。
赤穴瀬戸山城(あかな 島根県飯石郡飯南町上赤名)城説明板によると赤穴荘の地頭となった佐波備中守常連が赤穴氏を名乗り永和3年(1377)築城に着手。戦国期には尼子氏の本城、月山冨田城の支城として戦場となった。天文11年(1542)大内氏のとの戦いで城主赤穴光清は戦死、城開城となったが二が月に及ぶ足止めにより富田城での戦いに尼子氏が勝利した要因となる。関ケ原の戦い後、出雲隠岐24万石の堀尾吉晴の重臣松田左近は石垣を築き城下町を整備。改易となった堀尾氏に代わり京極氏は山中織部を派遣したが慶長20年(1615)の一国一城令により石垣破壊され廃城。道の駅赤来高原(城説明板有、城の眺め良い)から歩いて赤名小学校側の城登り口を進みました。途中に城説明板があり竪堀、堀切すぎて石垣の大手門へ主郭は眺望すばらしく周囲に郭があり、主郭の南西尾根側に第2郭、第3郭、南西郭群。主郭北西下部に第5郭、第6郭。主郭東側尾根には東郭群、ここから先に尾根筋に武名ヶ平城へ。松田左近(登城途中に墓有)が築いたであろう壊された石垣が主郭周のいたるところに残存。各主要郭に説明板がありわかりやすく助かりました、良い城です。小学校側登城口から主郭まで約20分でした。
土日だったので、こっそり学校横の登山口に停めました…。登り口には「◯合目 あと◯メートル」と表記があるのでわかりやすいです。城跡には石垣が多く、縄張りも分かりやすく、さらにいえば麓の城下町もしっかり残っており、続百名城に準ずると思いました。また、「矢穴石」(石を切り出す時の跡がある石)も、ちょっと危ない場所でしたがありました。3月末でしたが、大手門跡横にはマムシが寝ぼけてました😄
松田左近将監 源吉久(出雲国造北島家より)松田誠保が尼子政久の娘婿となり源氏称する後の吉久に繋がると思われる。
尼子10旗の一角赤穴瀬戸山城跡です。赤穴庄の地頭としてこの地域一帯を支配してた。赤穴氏によって築かれた城で、ここは備後、石見、出雲三国境に位置します。一部史料では天守閣があったとされますが、主郭(本丸)の面積的に狭く、櫓程度しか建てられません、天文11年1542年に大内義隆に落とされるまでは、度々攻撃を受けてましたが全て退け〝雲南随一の堅城〟と言われました。元和元年1615年の一国一城令で破却され、島原の乱後新たに破却されました。なお雑学として、赤穴城では大内方に攻められた際に鉄砲を使い日本で初めて鉄砲での死者が出たとされます。
石見銀山に向かう途中、登城するには時間もなかったので、遠景まで。山陰と山陽を結ぶ街道を抑える山城だったんだろうなと。
尼子配下の城ですね、月山富田城の支城としても機能して大内氏の侵攻の時にも機能したそうです赤名小学校のグラウンドの脇辺りに車を停めたら登城開始です距離は1km、標高差は180mとかなりありますがつづら折りと上の方はトラバース道で直登は無いのでちょっとキツめのハイキング感覚です途中にも豪快な竪堀や堀切、畝ってる土塁などありますが行きは余裕が無いので帰りにゆっくり見て下さい頂上の城跡部は崩れた石垣がいい感じにアルペン気分にしてくれます群馬や信州、アルプスの山頂みたいで景色も最高、是非晴天時に来て下さい城跡は本丸を中心に東と南に延びています、せっかく登って来たので本丸で休んでから両方とも端まで行きましょう、突き抜けて武名ケ平城から小学校の駐車場に戻れるそうなのでお弁当持ってチャレンジしてみても良いかもね。
きれいに整備されていて、天守からの眺めが最高です。
この城跡、舐めて行ったのを悔やんでいます!なかなかの石垣の数と規模、辺りを睥睨する360度の展望にビッくらポンでした。お近くの行ったときは登るのをお勧めします!
道も整備してあり、勾配も緩やかで良いですよ。観光協会にお願いすればガイドもしてもらえるそうです。
| 名前 |
赤穴瀬戸山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0854-76-3944 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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眺望バツグン登山道も良好。