柴田勝家の兜と共に、自然を感じる神社。
勝淵神社の特徴
仙川沿いに位置し、木々に囲まれた厳かな雰囲気が魅力的です。
柴田勝家の兜が埋められた伝承のある神社として有名です。
賤ケ岳の戦いに由来する歴史的背景が感じられ、訪れる価値があります。
最寄り駅 京王井の頭線三鷹台駅よりバスで南新川バス停下車仙川沿いに徒歩8分程、三鷹台駅から徒歩で35分程拝観料は無料 トイレ無し御祭神 弥都波能売神柴田勝家の孫柴田勝重が、大阪夏の陣の後に上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)付近を支配地として受領し島屋敷に居住、祖父より与えられた兜を水神の森に鎮めて社殿を建立し勝淵明神社と号したといいます。との事です仙川沿いの公園に囲まれた神社で御祭神は水の神様、兜塚は社殿の隣にあります塚とされる所は昭和40年頃までは石碑ではなく御神木があった様ですが今は綺麗に整備され石碑があります。目の前の仙川は今の季節だと川沿いに桜、川の中に菜の花が咲き誇っています井の頭公園から散歩に良いかもしれませんね。
三鷹市 登録史跡【柴田勝家兜埋納伝承地(勝淵神社境域)】織田信長の重臣であった柴田勝家の兜が、孫勝重によってこの地に埋納されたとの伝承を裏付ける史料は、天明5(1785)年の紀年銘がある柴田勝家位牌奉安添状(春清寺所蔵)をはじまりとします。この伝承は『新編武蔵国風土記稿』〔文政11(1828) 年編纂]にみられるように江戸時代を通じて継承されたものと考えられ、また少なくとも戦前までは口承によって伝えられていた ことが、文献や聞き取り調査によって確認されています。織田信長の重臣であった柴田勝家の兜が、孫勝重によってこの地に埋納されたとの伝承を裏付ける史料は、天明5(1785)年の紀年銘がある柴田勝家位牌奉安添状(春清寺所蔵)をはじまりとします。この伝承は『新編武蔵国風土記稿』〔文政11(1828) 年編纂]にみられるように江戸時代を通じて継承されたものと考えられ、また少なくとも戦前までは口承によって伝えられていた ことが、文献や聞き取り調査によって確認されています。神社境域内に残される幟や絵馬等の奉納物は、この地が地域の祭 礼の場であると同時に、柴田勝家兜埋納の伝承地として地域住民の 崇敬の対象となっていたことを裏付けています。このように勝淵神 社及びその境域は、柴田勝家の兜を埋めたという著名な伝承地であ り、江戸時代以降上仙川村(現新川・中原 地区の一部)の鎮守として、地域の厚い信 仰を集め、また祭礼の場としての長い歴史 を有しています。このため神社の境域全体 が市域に残る稀有な伝承地として史跡に登 録されました。平成24年6月6日史跡登録三鷹市教育委員会。
もとは水神の森と言われる場所であり弥都波能売という水の神を祀っていた。後の時代になって神社の対岸にある島屋敷を領地として賜った柴田勝重がここ水神の森に祖父柴田勝家の兜を埋めたことから勝淵明神社と呼ばれるようになった。兜塚は社殿右裏にあり。神社の前面には池のある丸池公園が広がっており水神の森当時の面影を感じることができる。
2023年6月23日16:30訪問:賤ケ岳の戦いで秀吉に敗れた柴田勝家は、福井北庄城に戻り、爪であった信長の妹お市の方と共に自害した。孫の勝重は、勝家の母方の祖父(日根野高吉)のところに落ち延びた。家康によって勝重は召し出され、大阪冬の陣、夏の陣で武功を上げて、この地を加増によって得た。祖父勝家の兜をこの神社の境内に埋め、兜塚として鎮め祀った。以後地域の人達が大切にしてきたという。勝重はここからほど近い春清寺には、柴田勝重の墓がある。
三鷹市で初めての、初詣数年ぶりにおみくじを引きました。物事が十分の形である十分はやがて欠ける万事慎み控えめに。恋愛控えめになれば良し。今年は、人の幸せを作るが目標ボランティアと仕事を(結婚相談所:ハピハートランス)優先にしたいので心に、残しておきたい言葉でしたありがたいですね。
柴田勝家公に縁のある神社です。子供を親族の居るこちらに逃がしたそうです。公園と仙川と隣接しており、のんびり散策に良さそうです。
仙川左岸に位置する神社、西に勝渕橋を渡ると杏林大学病院に至る。
柴田勝家の子孫が供養のため境内に兜を埋めたと語り継がれている神社。本殿の横に兜塚が再建されています。丸池公園の中にあり参拝、散策に良い。
柴田勝家の兜が祭られているという神社です。
| 名前 |
勝淵神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP |
http://www.mitakanavi.com/spot/historical/katsubuchi_jinjya.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
〒181-0004 東京都三鷹市新川3丁目20−17 勝渕神社 |
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水神を祀った上仙川村鎮守であったが、関ヶ原・大坂の陣戦功によりこの地を知行した、柴田勝家の孫柴田勝重が、祖父の兜を祀り、勝淵(かちぶち)明神としたのが始まりと言う。お社の向かって右奥に、兜を埋納したと伝承される「兜塚」がある。元はカシの木の根元に兜は鎮められていたが、近年は形跡を留めぬ状態であったため、氏子の方々の協力で1988年(昭和63年)に元の場所に新調された塚である。(柴田勝重:父は勝家の養子勝政(賤ヶ岳で戦死)。勝重3歳の時に北ノ庄城は落城、外祖父の許に落ち延び、のち徳川家康に召し出された)