梅田隧道近くの歴史を感じる。
梅田隧道碑の特徴
明治十五年に海軍水雷艇基地が開設され、地域の歴史を物語る石碑です。
漁業から軍用経済への移行を象徴する重要な史跡です。
梅田隧道の開通を記念した石碑は、訪れる価値があります。
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目印にはちょうどよい。
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この先にある梅田隧道の開通を記念した石碑。大正4年建立。梅田隧道は明治20年開通。手掘りで貫通した、民間資本で作られたトンネルです。
| 名前 |
梅田隧道碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
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かつて日向、複戸地区では大勢の人が漁業で暮しを立ててゐましたが、明治十五年、船越に海軍水雷艇基地や修理工場ができて、周辺の港は軍用になつたので、多くの人は生活の手段を奪はれ、軍関係の工場で働くやうになりました。しかし通勤は険しい山坂を越えて行かなければならないので、難渋をきはめました。そこで田川幸蔵、渡辺富太郎らの地元有志は、村の発展と通勤者の便宜を図るため、私財を投じてトンネルを掘る決心をしました。工事は明治十九年五月から始まり、二人の犠性者を出すといふ難工事の末、二年を経て完成して、梅田陸道と命名されました。横須賀市内では民間人が掘った初のトンネルで、国に頼ることなく、すべて自力でやり遂げ、今でいふボランティア活動の先駆けといってよいでせう。大正四年、先人たちの努力と功績を後世に伝へるため、この記念陣を建てました。題字は海軍大臣などをつとめた山資紀、顕彰碑文は逗子開成中学(現在の逗子開成学園)の創立者で、漢学者の田辺新之助が書いたものです。