竹の御所、鎌倉の静寂に息づく。
源媄子(よしこ)墓 (竹の御所墓)の特徴
難解な歴史を知る源媄子の墓が鎌倉にあります。
妙本寺近くの石段を登ると静かな場所に位置しています。
竹の御所とも称され、多くの歴史的背景があります。
JR鎌倉駅から歩いて10分もしない妙本寺奥の石段を登ると有りそう分かりにくくない筈ですが源躾子が可也詳しくないと源頼家遺児、母が比企氏の娘なので此処へ4代将軍九条頼経の姉さん女房になるも死産で母子共にお亡くなりになり源頼朝の血筋は完全に絶えるも源頼朝のカリスマ性に頼らない鎌倉幕府を考えていた北条氏には悪く無かったかも初代白黒アニメ混じりの魔法使いサリーの主人公の親友よしこちゃんは此処から来てるかも、唐突に鎌倉訪問の回も有りました。
妙本寺祖師堂の左手の階段を登ったところにある墓所の一番奥に、竹御所(源媄子)の墓がありました。媄子は、鎌倉幕府2代将軍 源頼家と比企能員の娘 若狭局との間に生まれました。比企の乱で一族が滅ぼされた後、生き残った媄子は、祖母 北条政子の死後、幕府の中で唯一、頼朝の血をひく者として御家人一同の尊敬を集め、彼らをまとめる役割を果たしたそうです。28歳となった寛喜2年、13歳であった第4代将軍藤原頼経に嫁ぎ、4年後に懐妊するも男子を死産、本人も死去したそうです。これにより源頼朝の血筋は完全に断絶し、御家人達の動揺は大きなものであったと伝えられています。遺言により釈迦堂を建て供養したそうです。釈迦堂は、江戸末期に祖師堂左側に移築され、釈迦堂跡地にお墓が建てられたそうです。頼朝の血筋が残れば、その後の歴史も違ったものになったかも知れないですね。
「源媄子」と聞いてもピンと来ないものの、源頼家の遺児で北条政子に育てられた「竹の御所」のことで、二十歳頃に7歳ほど年下の四代将軍九条頼経とめあわされます。女子大生と中学男子ほどの年恰好ですが、夫婦仲は良かったようで、吾妻鏡には当時なら高齢出産に当たる三十近くになって子供を授かりながら、流産の上に母体も亡くなる記述があり、涙を誘います。頼朝の嫡流をすべて失った御家人たちは動揺したと伝わります。
新しい墓碑銘が無ければ、おそらく気付かない。静かに合掌。
| 名前 |
源媄子(よしこ)墓 (竹の御所墓) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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竹御所様のお墓を見たら一瞬、つぼ装束のお姿で佇んでいるように見えギョッとしました。合掌。