川中島戦の歴史、静かに佇む石碑。
山本勘助鎮魂碑の特徴
おやきファームいろは堂の駐車場内に位置し、特異な石碑です。
目立たずに静かに佇むことで歴史を感じられます。
周囲の自然と調和した落ち着いた雰囲気が魅力です。
おやきファームいろは堂駐車場内にある石碑です。武田信玄公に軍略家として仕え、山勘(やまかん)という熟語が後世に残っております。ちなみに山勘とは、「勘に頼って万一の成功を狙ったり、計略にかけて欺くこと、またはその人(山本勘助)」だそうです。上杉謙信との戦で戦死し、家来がこの地で奪い返した首を洗っていると、鎧を着た胴体が流れ着き、首と胴が一致したことからこの橋を「胴合橋」と呼んだそうです。
おやきファームいろは堂の影に隠れてしまい目立たなくなり静かに佇んでいる。
| 名前 |
山本勘助鎮魂碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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川中島の戦いにおいて山本勘助は上杉軍によって討たれます。奪われた首級は配下の者によって奪回され、この地で胴と合わせて葬られたと伝わります。似た話は諸角豊後守や武田信繁にもあります。これはこの戦の流れから分かります。甲陽軍鑑では「辰の刻に始まりたる戦は越後の勝ち、巳の刻に始まりたるは甲州の勝ち」と評しています。朝方は越後勢が有利であり武田軍は名のある将を次々と討たれます。10時頃に別働隊が到着すると形勢は逆転。その際に討った首級をぶら下げていた越後勢はその重さが負担となり反対に討たれていきます。このようなことから勘助の首級も奪還されたのかも知れません。