沖縄市越来の火の神、尚宣威王ゆかりの地。
湧川殿内屋敷跡の特徴
沖縄市越来に位置する歴史的な拝所です。
祠には火の神が祀られ、神聖な雰囲気があります。
二代目琉球国王の子孫が住んでいた屋敷の跡地です。
祠にはに火の神が祀られていて、二代目琉球国王になった尚宣威王の子孫が住んでいた屋敷跡です。こちらには石碑があり碑文には以下のように書かれています。尚宣威王生誕五七〇年記念事業について湧川門中の始祖尚宣王は、一四三〇年の生まれ西暦二〇〇〇年が生誕五七〇年の節目となり、湧 川、泉水、普久原、角屋の各門中は、それを記念して、ヒヌカン(火神)を建立し、王の墓の階段に手すりを整備し、盛大に祝賀会を開催した。 この地は、第二尚氏第二代国王尚宣王の子孫 「湧川殿内」(ワクガワトゥンチ) のあった所で、人々はこの近くを「殿内の側」 (トゥンチヌスバ」と呼んできた。 尚宣威王の長男越来王子朝理を一世とし、五世朝 首、八世朝誠が首里王府の三司官に任じられ十一世 朝略に至って湧川親方となる。 それまでは、越来王子、見里王子、見里按司、越来親方として、越来間切を領地とし居を構えていた。 ヒヌカンから北百メートルの低地には湧川殿内の井戸があり、西側の丘を茶山 (チャーヤマ)と呼んでいて珍重された茶の栽培がなされていた。尚宣威王は一四七七年兄尚円の未亡人宇喜也嘉 (於喜也嘉)らの計略によって在位わずか六ヶ月で王位を失い越来間切に隠遁したが、その年の八月四日に四八歳の生涯を閉じた。尚宣威王は第二尚氏歴代の王とは区別され、玉陵に葬られることなく、ここから川を隔てた南西の丘の高所墓に葬られている。西曆二〇〇〇年十二月吉日尚宣王生誕五七〇年記念事業実行委員会碑文に書かれているのは以上です。
| 名前 |
湧川殿内屋敷跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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沖縄市越来に有る拝所です。案内板には、「殿内跡」とあります。祠の中には、「湧川殿内」と「火の神」が祀られております。