弟橘媛ゆかりの忍山神社。
日本武尊・弟橘媛「愛うるはし」中村晋也の特徴
日本武尊の没地と弟橘媛の生誕地が近くにある魅力がある場所です。
亀山駅から近い忍山神社が弟橘媛の生誕地で、歴史の深さに驚かされます。
ヤマトタケルとオトタチバナヒメにまつわる彫刻が、地域の文化を象徴しています。
亀山にゆかりがあるとは全く知らず。わが故郷には大鳥神社があり身近に感じました。
朝は逆光で撮影が難しいです。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の没した所と弟橘媛(オトタチバナヒメ)の生誕地の縁がある。
亀山市はゆかりの地ということで2023年11月下旬に亀山探訪の際に寄りました。こちらの銅像は2023年1月、JR亀山駅前広場内に亀山市名誉市民の彫刻家によって製作され設置されました。ヤマトタケルは現在の亀山市田村町でお亡くなりになりヤマトタケルの妻だったオトタチバナヒメは現在の忍山神社にて生誕されたとのことで昨年、駅前が再開発され周辺は近代的な感じの中で、大きくはないですが存在感感じさせる銅像です。
亀山駅は弟橘媛(オトタチバナヒメ)の生誕地忍山神社の最寄駅で日本武尊(ヤマトタケル)が亡くなった能褒野も亀山市にある。
| 名前 |
日本武尊・弟橘媛「愛うるはし」中村晋也 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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日本武尊・弟橘媛(やまとたける・おとたちばなひめ)「愛うるはし」伊勢國鈴鹿郡(亀山)の忍山神社は弟橘媛に所縁ある神社です。日本武尊は大和から東海道を通りこの地に来た時、弟橘媛を見初めて妻にしました。弟橘媛は、日本武尊と一緒に東征へ向かう船で、荒れくるう海に身を投じて海神の怒りを鎮めたので、無事船は進むことができ武尊は任務を遂行することができたといいます。そんな武尊は「吾妻(あづま)よ」と亡くなった弟橘媛の事を口にしたので関東地方を吾妻(東:あづま)と呼ぶようになりました。この銅像作者の中村晋也(なかむらしんや)様は1926年7月29日三重県亀山市に生まれ、文化勲章を受賞されたことのある亀山市名誉市民です。2023(令和 5 )年、彼が96歳の時に駅前広場にこの銅像が設置されました。