並河天民の足跡を辿る。
並河天民講学所堀木舎阯の特徴
中京区東堀川通の石碑が目印の史跡です。
儒学と医学を結んだ並河天民の足跡があります。
京都の学問の歴史を感じる静かな場所です。
中京区東堀川通丸太町上る東側、京都老人デイケアセンタ-の玄関脇に「並河天民講学所堀木舎跡」の石碑があります。並河天民(1679年~1718年 江戸時代中期の儒学者)は,伏見横大路に生まれた。儒学を伊藤仁斎(1627~1705)に学び,この地に塾を開いた。この石標はその塾(講学所)堀木之舎の跡を示すものである。
| 名前 |
並河天民講学所堀木舎阯 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na063.html |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
〒604-0077 京都府京都市中京区東堀川通丸太町上る 東側 KYOTO CARE HOSUE前 |
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儒学と医学を結んだ学者――並河天民と「堀木之舎」跡京都の街には、学問の歴史を今に伝える静かな史跡が点在しています。今回紹介するのは、江戸時代の儒医・並河天民の塾「堀木之舎(ほりきのしゃ)」跡を示す石標です。並河天民(1679~1718)は、京都南部の伏見横大路に生まれました。若き日の天民は、儒学者として名高い伊藤仁斎(1627~1705)に学び、古義学の思想に触れます。仁斎の門下は、当時の京都における学問の中心的存在であり、多くの知識人がここから育ちました。天民はその学びをもとに、この地に塾を開き、「堀木之舎」と名付けて講学の場としました。ここでは儒学の研究と教育が行われ、多くの人々が学びを求めて集まったと伝えられています。一方で、天民の学問は儒学だけにとどまりませんでした。医学については、江戸時代初期の医師である名古屋玄医(1628~1696)に学び、古典医学書『傷寒論』の考証的研究を進めました。こうした研究によって、天民は古医方の大家としても知られるようになります。興味深いのは、天民が師・仁斎の学説をそのまま踏襲するのではなく、現実社会に役立つ学問を重んじた点です。儒学の理念である「経世済民」、すなわち世を治め人々を救うという考えを重視し、医療と学問を結びつけた「儒医」として活躍しました。現在、この地には塾の建物は残っていませんが、石標が「堀木之舎」の跡を静かに示しています。ここで交わされた議論や講義、そして病に苦しむ人々を救おうとする志を思うと、石標の前の空間がどこか知的な気配を帯びているように感じられます。京都は寺社だけでなく、こうした学問の拠点が数多く生まれた町でもあります。街歩きの途中でこの石標を見かけたら、並河天民が目指した「学問で社会に尽くす」という精神に、少し思いを馳せてみてはいかがでしょうか。