津波から守った譜代水門。
普代水門の特徴
東日本大震災の津波を防いだ譜代水門は特別な存在です。
1984年に完成し、建設決断が村民の命を救いました。
知名度が低い普代村にも、重要な理由がここにあります。
二度あったことは三度あってはならない本当にそうですね。災害の多い日本🗾命を大事に生き延びよう。
車中泊の旅で寄りました。売店トイレがあり夏には海水浴が楽しめそうです。
大震災の津波から村を守った譜代水門が見たく訪問しました。奇跡の水門として絵本にもなっています。「二度あったことは三度あってはならない」時が経つと忘れてしまいますが、命を守る忘れてはいけない事が有るのだと身の引き締まる言葉でした。
Prevenire è meglio che curare.予防はそれを治癒するよりも優れています。
1984年に完成した水門。15.5mという高さは計画時から「高すぎる」と非難を浴びたようだが当時の和村幸得村長が明治期に15mの津波が来たという言い伝えを守り、反対意見を押し切って完成した。2011年の東日本大震災では他の沿岸都市が津波により機能不全に陥るなか普代村では普代水門と太田名部防潮堤が住宅地や集落中心部への津波到達を防ぎ人的被害を行方不明1名に抑えた。
東日本大震災の津波に耐えた水門もすごいけど、水門建設を決断した元村長もすごいよね😵約3千人の村で、35億6千万円もの大金をかけたんだよ😱一人当たりにすると、約120万円だよ❗国と県の予算だというけど、なかなか決断できないよね。まして、村民の反対もあったんだからねぇ😵過去2回の津波被害が、教訓として生かされたんだね。だから、東日本大震災の時も、津波が水門を2メートル越えたけど、浸水被害も死者もなかったんだね😃村長の決断が、村を守ったんだねぇ😵時の村長和村幸得氏は、本物の政治家だね☺️先見の明があったんだねぇ。「コンクリートから人へ」や事業仕訳などと称して、次々と防災施設などの建設を中止に追い込んだ、馬鹿な政治家とは大違いだね😱
当時の町長が反対を押し切って建設し、結果的に町民の命を救ったそうです。防潮堤は驚くような高さがあります。
東日本大震災の時に活躍した水門。
大津波から村を守った。
| 名前 |
普代水門 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
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まさに過去の教訓を生かした水門でこの目で見られて良かった。どんな津波教訓遺跡などより立派である。水門は今回の東北旅行でいろいろ見たが、この譜代水門ほど信念のある水門は見られなかった。今回の旅で知ったのだが、この高さ15.5メートルの大きな水門は東日本大震災以前に造られていました。この普代村では過去の明治三陸地震で302名、昭和三陸地震で137名の犠牲者を出しました。その辛い経験から津波から住民を守るために普代水門は1984年に完成しました。建設費は35億6000万円と破格の金額となりました。建設計画時には15.5メートルという高さは高すぎると非難を浴びましたが、当時の村長の和村幸得氏が「2度あることは3度あってはならない」「15メートル以上」と譲らなかった。結果的に東日本大震災では2メートルほど高さが足りずに津波は超えていったが、被害は死者0と最小限に抑えられた。明治三陸地震の15メートルの波が来たという言い伝えが、明治42年生まれの村長の頭から離れなかったためと言われている。東日本大震災の後に村長が「先人の津波防災にかける熱意が村民を救った」と述べたそうだ。すばらしい指導者が残した水門が今も誇らしく建っているのがかっこよかった。