目黒川の柊庚申で歴史を感じる。
庚申塔の特徴
覆堂が立派な庚申塔は目黒川近くに位置しています。
柊庚申として知られる歴史ある庚申塔です。
安永四年(1775年)銘の存在感が感じられる史跡です。
文字が刻まれただけの庚申塔にしてはかなり立派な覆堂を構えていると思う。玄関幕や賽銭箱も見事なものだ。供えられている生花からも熱心に信仰されていることが伺い知れる。田道庚申通りの由来である庚申塔群と一緒に管理されているのかも知れない。
目黒川に架かる田道橋のたもとの五叉路にあり、「柊庚申」と呼ばれています。堂宇はたいへん綺麗に整えられています。石塔は上部が折損しており、下部に、かろうじて判別できる程度の三猿。刻字は「奉□庚申塔」。堂宇の右側に灰青色の粘板岩と思われる記念碑。「柊庚申講」「再建拾週年記念」「昭和三十七年三月十五日建立」と刻まれています。昭和27年に堂宇が再建され、その10年後に記念碑が建立されたのでしょう。
| 名前 |
庚申塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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安永四年(1775年)銘の庚申塔。側面の銘文には、「しんてら(長泉院)」「いふてん寺(祐天寺)」「こんひら(金毘羅権現社)」「不とふ(目黒不動尊)」とあり、Googleマップのない時代に通行人を導く道標としての役割も兼ねていたことが分かる。観察するに、上部が盃状穴によって激しく削られている。盃状穴とは、道行く人々が指や小石で石造物を削ることで生まれた窪みのことで、削る際に道中安全などを祈願した痕跡である。少なくとも江戸時代から戦前まで見られた風習。人通りの激しい場所ほど、数多くの深い穴が刻まれる傾向にあった。調べるに、この碑は長いあいだ半ば埋没し、粗末に扱われていたが、昭和二十七年に近隣の竹内家の方が再興。地域の人々と講を結び、柴又題経寺の板本尊を受けて祀り直されたという。傍らのヒイラギに因んで俗に「ひいらぎ庚申」や「ひいらぎ講」と称されたとされる。なお傍らに、昭和三十七年に建てられた結講十周年の記念碑も見られる。