青柳文庫で歴史と触れ合う。
青柳文蔵の墓の特徴
日本初の公開図書館を創設した青柳文蔵の墓です。
墓地参道を登ると、歴史的な雰囲気が漂います。
商人や医師としての彼の功績を感じられる場所です。
青柳文蔵(1761-1893)は、商人、医師、公事師として財を成し、日本で初めての公開図書館である「青柳文庫」を創設した人物。墓石側面に漢文で略歴らしき文章が刻まれている。
歷史人文薈萃。
墓地参道を登ったところにあります。青柳文蔵は儒を井上金峨に学び、購書の必要のため貿易に従事して萬金を得て日本初の私設図書館である(青柳文庫)を残した人。長文の碑文は「寿蔵記」とあり、生前のもので太田金城撰、中井董堂書。・青柳文臧墓・配新倉氏祔 東里青柳處士壽藏記 文化7年加賀錦城太田元貞公幹父記 江戸董堂井敬義柏直書 青木宗義鐫またすぐ上の樫の木の周辺には徳本名号、太田南畝書などいくつか刻文碑あり・弘法大師一千百年供養塔・青柳勇次郎朝堯墳辞世 のこるべき さかさ井の ワたしにもさし潮もあり 引潮もあり 蜀山人書 (碑陰記有り)・南無阿弥陀仏 徳本(碑文有り)・靈神碑 (碑陰に和歌三種)・宝篋印塔。
| 名前 |
青柳文蔵の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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寡聞にして存じ上げないので調べた以下Wikipediaより青柳 文蔵(あおやぎ ぶんぞう、宝暦11年(1761年) - 天保10年3月14日(1839年4月27日))は、仙台藩領磐井郡東山町(現在の岩手県一関市東山町松川)出身の江戸時代後期の商人。医師・小野寺三達の三男として生まれる。名は茂明、号は東里、近水楼主人。青柳文庫の名前の由来となった人物である。1831年(天保2年)、仙台藩に書籍2,885部、9,937冊、また100両を贈り、藩はこれを公開図書館として一般に供することとなり、これが日本の最初の公開図書館となる。仙台市青葉区一番町にその碑がある。また彼は郷里、松川に籾4,000石を収納できる蔵を建設、これは青柳倉と呼ばれ、その後まもなくの天保の大飢饉に際しては、人々を飢餓から救ったという。その場所に「青柳倉記」という碑が立てられている。彼の墓所は、東京都豊島区高田の金乗院にある。