桜の下で歴史に触れる。
谷中霊園の特徴
日暮里駅からほど近く、歴史ある谷中霊園の魅力です。
血洗島から移植したタブノキが目印の渋沢栄一家墓所があります。
春には美しい桜が楽しめる、静かな霊園です。
2026年7月5日 15時20分訪問谷中界隈をのんびり散策している途中、谷中霊園の前を通りかかり、「徳川慶喜の墓」という案内板を見つけたので立ち寄ってみました。歴史にはあまり詳しくない私ですが、「最後の将軍」として名前だけは知っていた徳川慶喜のお墓がここにあると知り、せっかくなので参拝させていただきました。実際に訪れてみると、一般のお墓とは明らかに雰囲気が違います。墓所は専用の区画として整備され、周囲は石塀に囲まれ、とても静かで厳かな空気が流れています。広々とした空間の中央に立派な墓所があり、その姿を目の前にすると、江戸幕府最後の将軍として日本の歴史に名を刻んだ人物のお墓なのだと自然と実感しました。徳川慶喜は1867年に大政奉還を行い、約260年続いた江戸幕府の幕を閉じた人物です。その後も明治時代を生き抜き、写真や自転車、狩猟など新しい文化にも興味を持ちながら余生を過ごしたことでも知られています。激動の時代を生き抜いた人物が、この静かな谷中の地で眠っていると思うと、歴史がぐっと身近に感じられました。墓所の説明板も設置されているので、歴史に詳しくない方でも十分楽しめます。私も説明を読みながら、「なるほど、こういう人生を歩まれた方だったのか」と少し勉強になりました。谷中霊園は緑が多く、都会の喧騒を忘れさせてくれる落ち着いた場所です。歴史好きの方はもちろん、私のように散策の途中でふらっと立ち寄るだけでも、十分価値があるスポットだと思います。日暮里・谷中界隈を散策される際は、ぜひ一度、徳川慶喜公のお墓にも足を運んでみてはいかがでしょうか。静かな時間の中で、日本の歴史の大きな転換点を築いた人物に思いを馳せることができる、そんな貴重な場所でした。写真を少しですが添付します。ご覧いただければ雰囲気が伝わると思います。
日暮里・谷中エリアを歩いていると、ふと現れる広大な霊園です。都心とは思えないほど空が広く、よく整備された石畳の小径を歩くだけで気持ちが整います。歴史ある墓石や石灯籠が並び、凛とした静かな時間が流れています。この日はつつじが鮮やかに咲き、木々の間からスカイツリーが顔を出す東京らしい対比も印象的でした。霊園内、寛永寺墓地に佇む徳川慶喜公の墓所は、江戸幕府最後の将軍という歴史的存在に似つかわしくないほど、静かで簡素な佇まいです。将軍家に多い仏式ではなく神道式の円墳であること、妻と並んで眠る形も含め、近代という時代の転換期を生きた人物の個人的な側面が感じられます。法曹として歴史の重みを扱う身には、権力の終焉と新時代の象徴がこれほど静かに共存している場所は、ほかにないと思います。2026.4 撮影📸
2026年5日4日昼訪問鶯谷駅の北西、山手線の内側に広がる大きな墓地当日は鶯谷駅からシェアサイクルでこちらへ山手線の跨線橋を渡り中に入りまずは渋沢栄一のお墓をお参りし近くの徳川慶喜のお墓もお参りしやしたよそれから谷中霊園の管理事務所に行き谷中霊園の年表などを眺めて鳩山一郎のお墓をお参りしお隣の横山大観のお墓もお参りしやした当日は天気も良くお墓参りの方も多く緑豊かな霊園を気持ち良く散策できたさあ。
よくこの辺りを散歩します。山手線の内側にありながら田舎のようなのどかな雰囲気があり、歴史的な風情もあります。巨大な霊園でありながら不思議と夜もそこまで怖くありません。自分は交番そばの公園でよく涼んでます。最近はインバウンドで人気のようですね。
【桜の下で、記憶の置き方を見る】都内にも広い霊園はいくつかありますが、ここはその中でも、歩くこと自体に意味のある場所だと思いました。桜を眺めながら、のんびりと散策。花の時期ということもあって、墓所でありながらどこか開かれた空気があり、重苦しさ一辺倒ではないところがこの霊園の特徴かもしれません。実際に歩いてみると、変わった意匠の墓があったり、著名人の墓が通路側に分かりやすく置かれていたりして、単なる墓地というより、ひとつの都市空間として設計されているような面白さがあります。もちろん不謹慎な見方は避けるべきですが、誰をどう記憶し、どのように見せるかという点に、この霊園ならではの思想のようなものが感じられました。花を愛でながら歩きつつ、墓石の形や配置にもつい目がいく。谷中霊園は、追悼の場であると同時に、東京という都市の記憶の置き方そのものを考えさせる場所でもあるように思います。
江戸幕府最後の将軍として有名な徳川慶喜の墓と同じ区域にあります。経緯は不明ですが、実枝子は慶喜の嫡男と結婚したため同じ墓域に葬られたと思われます。正面から向かって右の角にあり、正直わかりにくかったです。徳川実枝子(実枝子女王):父は有栖川宮威仁親王、母は妃の慰子1891年(明治24)誕生1904年(同37)徳川慶喜の嫡男・慶久との婚約が内定し、4年後に降嫁1913年(大正2)に父が亡くなってからは有栖川宮を継承した1922年(同11)に慶久が亡くなるまでに4人の子どもを授かった1933年(昭和8)逝去。享年43
備後福山城主侍従伊勢守従四位下阿部朝臣正弘墓つまり阿部正弘の墓所です。谷中霊園の渋沢栄一墓所のすぐ隣の、阿部家累代藩主の墓所の中にあります。福山城主(藩主)ですが、正弘が国元にいたのは天保8年(1837年)の春3ヶ月のみ、人生この1度のみとのこと。そうしたことから墓所が東京ということも窺えるのかなと思います。室と後室と、ともに眠っています。この時をもって時代は、動乱へと動きます。正弘の早すぎる死が本当に惜しまれます!(2022年1月19日訪問)
桜木2丁目の交差点からの道が霊園内で突き当たる辺り、血洗島から移植したタブノキが目印となる渋沢栄一家墓所が有ります。ボランティアガイドさんからの受け売り情報です。最後の将軍、徳川慶喜公はいわゆる一般常識の無かったお方で、例えば自身でお金を払って物を買うといった事も出来なかったと言われています。渋沢栄一さんは慶喜公の経済面のみならず日常生活もお世話されていました。今も渋沢栄一さんの墓標は慶喜公の墓標を向いています。との事です。その徳川慶喜公の墓標は、歴代将軍の墓標と大きく趣が違い、明治天皇と同じ神道式です。東京23区内、唯一の派出所ではなく駐在所(お巡りさんが住んでる)の向かって左手後方に天王寺五重塔跡が有ります。幸田露伴の「五重塔」のモデルになりました。幸いにも震災と戦災を免れ、谷中のランドマークになっていましたが、昭和32年放火により焼失しました。実測図面が残っており復元可能との解説書きが有りました。是非とも再建を願います。ところでこの2箇所、度々投稿を試みましたがいずれも1日で消滅しました。何故でしょう?
春には桜が楽しめます!9月末、谷中霊園でキノコ発見!オオシロカラカサタケというそうです。美味しそうですが、何と毒キノコ🤐怖いですね〜彼岸花も咲いて秋めいてきました✨紅葉も楽しめます!徳川慶喜公のお墓もここにあります。その他、著名人のお墓も!横山大観、渋沢榮一、鳩山家など。
| 名前 |
谷中霊園 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
03-3821-4456 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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都内にある公園墓地のひとつで、多磨霊園,雑司ヶ谷霊園に続いて2026/6/29に初めて訪れました。こちらには徳川慶喜公が眠っておられますが、ご自身の意思で徳川家霊廟ではなくここ谷中霊園に神式で埋葬され、お墓の形も小さい円墳状になっています。また、慶喜公に忠誠を誓い続けた渋沢栄一も同じ谷中霊園に眠っているというのが、「青天を衝け」を見ていた私にとっては何ともエモい。